アウト・ドアめし

2017/12/09(土)12:46

福沢諭吉 学問のすすめ を読んで、自分の方向を再確認する。

本(111)

​ 学問のすすめ (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ) [ 福沢諭吉 ]​ 現代語訳 学問のすすめ 福沢諭吉 という本があり、パラパラ読んでいたら気になるところがあった。原文は、青空文庫で確認した。 コピペして、自分の行動指針としておきたい。『ゆえに世帯も学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。』時勢を察することを磨き続けたい。 文字は学問をするための道具にて、譬たとえば家を建つるに槌つち・鋸のこぎりの入用なるがごとし。槌・鋸は普請ふしんに欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者はこれを大工と言うべからず。まさしくこのわけにて、文字を読むことのみを知りて物事の道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず。いわゆる「論語よみの論語しらず」とはすなわちこれなり。わが国の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯の学問に暗き男と言うべし。経書けいしょ・史類の奥義には達したれども商売の法を心得て正しく取引きをなすこと能あたわざる者は、これを帳合いの学問に拙つたなき人と言うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金しゅぎょうきんを費やして洋学は成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎うとき人なり。これらの人物はただこれを文字の問屋と言うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と言うて可なり。ゆえに世帯も学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。 「情欲」が大切、但し「至誠」と「意思」が必要。  第三、人にはおのおの情欲あり。情欲はもって心身の働きを起こし、この情欲を満足して一身の幸福をなすべし。たとえば人として美服美食を好まざる者なし。されどもこの美服美食はおのずから天地の間に生ずるものにあらず。これを得んとするには人の働きなかるべからず。ゆえに人の働きはたいていみな情欲の催促を受けて起こるものなり。この情欲あらざれば働きあるべからず、この働きあらざれば安楽の幸福あるべからず。禅坊主などは働きもなく幸福もなきものと言うべし。  第四、人にはおのおの至誠の本心あり。誠の心はもって情欲を制し、その方向を正しくして止まるところを定むべし。たとえば情欲には限りなきものにて、美服美食もいずれにて十分と界さかいを定め難し。今もし働くべき仕事をば捨て置き、ひたすらわが欲するもののみを得んとせば、他人を害してわが身を利するよりほかに道なし。これを人間の所業と言うべからず。この時に当たりて欲と道理とを分別し、欲を離れて道理の内に入らしむるものは誠の本心なり。  第五、人にはおのおの意思あり。意思はもって事をなすの志を立つべし。譬えば世の事は怪我の機はずみにてできるものなし。善き事も悪き事もみな人のこれをなさんとする意ありてこそできるものなり。

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