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元ちゃんが生まれてすぐの年賀状を見て、お祝いが届いた。
とても、おしゃれなサイズ90のスーツ。 聾学校の入学式で元ちゃんが着ました。 結婚して、福岡から、こちらに出てきて仕事を見つけた。 いくつかの病院、薬局に面接に行った。 前々から興味があった、漢方。 漢方診療所で働くことになった。 受付にすごく仕事がさばける綺麗な彼女、スミレさん (仮名)がいた。 一緒に仕事をしていて、楽しかった。 月に一回のレセプションも遅くまで2人でおしゃべりしながら楽しくできた。 漢方の勉強がしたくって、ここを選んだ。 患者さんが多くて、色んな漢方があって、でもほとんど勉強という勉強もできないうちに、子供ができちゃって・・・ 1年ちょっとでやめちゃった。 生まれるまでいてね!といってくれたけどつわりがひどく点滴したり、切迫流産しそうだとかいわれてやめることに。 とっても温かい先生だったし、可愛がってくださって、こちらにでてきて初めてのお友達?のスミレさんにも出会えた。 スミレさんには男の子がいた。 とっても可愛い3歳の男の子。 一緒に芋掘りに行ったり、料理を持ち合ってするお食事会に参加させてもらったり、夫婦でお世話になった。 面白いな~ほんまに面白いな~~とよく言って私をおもしろがっていたな。 先生にも夫婦で食事に連れて行ってもらったり、漢方のことを教えてもらったり・・・楽しい職場だったと今でも思い出す。 スミレさんからお祝いが届いた。 「4人目の出産おめでとう。可愛い男の子だね。・・・ この調子で、5人目頑張って・・」みたいな手紙も一緒についていた。 お礼の電話をかけた。 元ちゃんのこと少し話して、まだ元ちゃんが我が家に帰ってきてくれて、大変な冬を過ごした後だったし、色んな事教えられながら、一緒に成長していこうと思っていること、楽しく過ごしていることを(今の気持ちとは違った、頑張っていくよって、言い聞かせるように)一生懸命話していたと思う。 その私の話に続いて、スミレさんは話し始めた。 マーキの誕生と同じ時期に2人目の男の子を出産したスミレさん。 次男君の話をゆっくりと話してくれた。 自閉症かもしれないということ。 まだ決まったわけではないが、専門の方に指摘を受けていること、普通の幼稚園では受け入れできないといわれたこと。 少し上のお子さんと違うなって思っていたが・この子はこの子。そう思うようにしていたが・・指摘を受けてやっぱりそうだったのかと思う気持ちと、違う!!と思う気持ち。次男君にあった施設にすすめられた物の足が重く運ばないと。 今までと違った世界に飛び込むような不安が言葉からあふれていた。自分のせいかもしれないと泣いていた。 あんなに堂々と、仕事もでき、さばさばしていたスミレさんが泣いていた。 このとき、自閉症についてちゃんと知らなかった私はスミレさんならきっとうまく次男君を引っ張って行けるというのがやっとだった。 スミレさんから、反対に、「あなたのような明るさがあったら、前向きな気持ちがあったら、元ちゃんはどんな障碍があっても幸せに育っていくわよ。パパさんも協力的だし、優しいし、本当にあなたは前向きでいいわね!面白いしね・・」と言われた。 正直そのころは、頑張って自分を奮い立たせていたところがあった。自分に「大丈夫だ!!元ちゃんは大きく育つ!!今までと同じように楽しい育児、そう肩の力を抜いていこう。」と言い聞かせながら生活していたような、だってまだ知らず知らず涙でることあった。私はそんなに強くないと思っていた。慣れない吸引、口蓋列を持った元ちゃんの摂食これからの課題はいっぱいだった。 電話の後に、自閉症について少し調べた。 お母さん、お父さんの気持ちがつづられているサイトで涙が出た。 簡単なことでは無い・・ 24時間、気のぬけない生活。 世間の理解の無さ、もう少し自閉症についてみんなが知っていたら、、、 親がついていて!!何やっているんだ!!と どんなに気を遣っても外に出たら謝って回ることの方が多い。精神的に常に張りつめた状態、アンテナを張っていないと行けない、その子の親になってみないと分からないけど・・もう少し世間が自閉症について理解があったら・・ 両親の気持ちが楽になるのに・・・ そう思ったことがある。 どんな子も一緒に学ぶ、そんな場が,共育の場があったら・・・ 普通学校,療育施設と分けていれば、結局障碍を理解するのは難しいのかな。 親がついていながらと攻める前に、周りも理解する必要があると思う。 みんなが少しでも歩み寄ることができたら・・・ お母さんだけで抱え込まなくてすむだろう。 これを甘えと言われたら・・・ 少し悲しい気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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