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カテゴリ:真理・シルバーバーチの霊訓
24-r (霊界と地上界の二つではなく何故霊界一つだけではいけないのか)
- なぜ霊界と物質界とが存在するのでしょうか。なぜ霊界一つだけではいけないのでしょうか。 それに対する答えは"なぜあなた方はお子さんを学校へ通わせるのですか"という問いに対する答えと同じです。学校を出たあとの生活で直面するさまざまな情況に備えて、勉強させるためです。 物質界へ来るのも同じ理由からです。地上を去ったあとに訪れる生活に備えさせるために、地上生活がさまざまな体験と挑戦の好機を提供してくれます。次の段階に備えるための学習の一課程です。 物質界、霊界、そして果てしなく広がる宇宙は、あなた方のいう神、私が大霊と呼んでいる絶対的エネルギーが顕現したものです。宇宙に存在する最高の力です。それは無限です。始まりも終わりもありません。その叡智も無限です。その愛も無限です。その貯蔵庫も無限です。 大霊の意志の表現である自然法則の働きは絶対です。かつて宇宙間に生じた現象、あるいはこれから生じるであろう現象で、その働きによる配慮が為されていないものは何一つありません。 人間界の法律は予期せぬ事情が生じて絶えず改正が行われます。しかし自然法則は完璧です。その働きの及ばないものは存在しません。誰一人、何一つ、極大・極小、複雑・単純に関係なく、その働きからはみ出るものはありません。宇宙間のあらゆる事物、あらゆる環境、あらゆる事情、あらゆる現象が不変・不滅の法則によって規則されているのです。 私が何よりもまず、その絶対的な大霊に崇敬の念を捧げるのはそのためです。荘厳さと深遠さにおいて、これに勝るものは何一つ、誰一人、存在しないのです。その知性の壮大さは到底地上の言語では表現できません。 皆さんのどなたよりも永いあいだ顕幽にまたがる生命の旅を続けている私は、今なお、あらゆる存在の次元において働いている自然の摂理の完ぺきさに驚くことの連続です。 そこで申し上げますが、宇宙に存在するものは何らかの役目があるからこそ存在しているということです。自然の摂理と調和して生きていれば、健康・幸福・霊的明るさ・精神的徳性という形でその恩沢を受けます。それは、内在する神性を発揮していることにほかならないからです。 あなたは有限の知性でもって無限なるものを理解しようとなさっていることを認識しておくことが大切です。 『シルバー・バーチの霊訓 (10)』(近藤千雄訳) 潮文社、1988、pp.75-77 ***** 24-s (霊界の高い界層では心と心との直接的な意志の伝達になる) - 「あなたはその"大霊"と交信なさるのですか」という質問に対して- あなた方の理解しておられる"交信"の意味では"ノー"という答えになります。人間が交信するには口でしゃべるか、書くか、とにかく何か道具を使用しなければなりません。自分の言いたいことを伝えるには言語を使用しなければなりません。しかし言語は有限なものであり、したがって無限なものを表現することはできません。いかなる文章の達人も宇宙の無限性と、そこに存在するもの全てを、言語によって表現することは不可能です。 霊界では界層が高くなると意志の伝達が心と心との直接的なものとなります。そこで、私が大霊と交信し合うのかとのご質問ですが、交信が言語の使用を意味するのであればノーです。私たちは直接的に意志を通じ合うのです。大霊の無限の力にチャンネルを合わせて、できるだけ多くの力を頂戴するように努力するのです。 『シルバー・バーチの霊訓 (10)』(近藤千雄訳) 潮文社、1988、p.78 ***** 24-t[11-i] (地上の人間より霊界の霊の方が大霊と密接な関係があるのか) - あなたたち霊の方が私たち人間より大霊と密接な関係にあるとお考えですか。 あなた方も同じように大霊と密接な関係にあります。なぜなら大霊はあなた方の内部に存在するからです。大霊の火花が一人ひとりに宿って生命を与えているからこそ生きていられるのです。 それとも、"密接"とおっしゃったのは大霊とのより大きな調和、より強い一体関係が得やすいという意味でしょうか。それならば "イエス"です。なぜなら霊には無限の可能性と完全性が秘められていて、こちらの方がそれを発揮しやすいからです。しかし地上においても霊界においても、その完全性をすべて発揮できる段階は来ません。 『シルバー・バーチの霊訓 (10)』(近藤千雄訳) 潮文社、1988、pp.78-79 24-u [18-x] (地上生活は霊界の生活と違って両極性から成っている) - 時おり味わう精神的な苦悩は外部から来るのではなく内部から湧いてくるのでしょうか。 どちらからでもあります。よく理解していただきたいのは、地上生活は霊界の生活と違って両極性(相対性)から成っていることです。霊界では同じ発達段階の者が同じ界層で生活しておりますが、地上ではさまざまな発達段階の者が混ざり合って生活しております。ということは、対照的なものを見たり体験したりする機会が得られるということです。かくして光があれば闇があり、温かさがあれば冷たさがあることになります。そこに地上生活の存在理由があるのです。そうした両極の体験を通じて魂が真の自我に目覚めていくのです。 言いかえれば地上は学校です。そこでいろいろと学ぶことによって、いつかは住むことになる霊の世界での生活での必要な教訓を身につけるのです。苦悩を味わうということは、その反対である喜びを味わえるということです。 たびたび申し上げておりますように、地上での出来事は正反対であると同時に相等しいということがあります。つまり同じコインの表と裏の関係です。魂が自我に目覚めるのはさまざまな体験の中においてこそです。それは鋼(はがね)を鍛える過程、あるいは原鉱を砕いて黄金を磨き出す工程と同じです。 『シルバー・バーチの霊訓 (10)』(近藤千雄訳) 潮文社、1988、pp. 187-188 ***** 24-v [22-e](地球は危機に瀕しているが一夜のうちに破滅することはない) 地上世界は今るつぼの中にあります。バイブルの中の説話のような善と悪との戦いがあります。富の神マモンの崇拝、あくなき貪欲と強欲と権力欲、高尚なものや霊的なものの抑圧- 要するに私が地上のガンと呼んでいる利己主義が生み出す不幸があります。 それと同時に、世俗的な意味での宗教はその威力、影響力、指導力を失っております。いやしくも知性を具えた者には到底信じ難い教義に今なお忠誠を尽くしているようでは、既成の宗教に背を向ける者がますます増えていくのは当然の成り行きです。 それに加えて、科学が間違った方向へ進みつつあります。果たして人類に益をもたらすのか、地球を破滅へ陥れるのではないかと思える、恐ろしいものを次々とこしらえております。人類は今まさに危機の十字路に立たされております。私たちが総力をあげて救済活動に乗りだしたのもそのためです。 それで平和と調和と親善と和合と協調を達成する唯一の方向を示して指導しているところです。その唯一の方向とは、地上の一人一人が霊的な一大家族の一員であり、その親にあたるのがあなた方のいう神、私のいう大霊であるという認識です。 私たちは何としてもこの仕事を成し遂げる覚悟です。ここにお集まりの皆さんをはじめとして、スピリチュアリズムの仕事にたずさわっておられる方はみな、霊的大軍勢の一翼を担っておられるのです。だからこそ試され鍛えられて、割り当てられたこの重大な仕事で万が一にも挫折のないようにしなければならないのです。 霊は物質に勝ります。物質の世界には霊力よりも強力な力は存在しません。たとえ時間は掛かっても必ず勝利を収めます。真理を手にした者には悲観主義も絶望も入る余地はありません。神が人間の頭を身体の一番高いところに置かれたのは、見上げることができるようにということからです。見下ろすようにということであったら足もとに頭が付いていることでしょう。 人類の霊的解放の仕事にたずさわる者は試練と挑戦を受けなくてはなりません。それが霊的発達の不可欠の要素なのです。それ以外に方法がないのです。いずれ霊界へ来られて地上時代を振り返ってごらんになれば、苦しい体験ほど大切な意義をもっていたことを知って神に感謝なさることでしょう。 遠い昔から人間は地球の悲劇の予言をいくつもして来ました。地球の終末の日時まで告げているものもあります。そこへキリストが再臨して人類を救うというのがキリスト教の信仰のようですが、そういうことにはなりません。キリストは二千年前に地上での使命をきちんと終えています。今は私の住んでいる同じ霊界においての使命に精励しておられます。それが今われわれのたずさわっている霊的真理普及の活動の指揮・命令です。 地球が一夜のうちに破滅することはありません。宇宙の大霊が無限の愛と叡智とをもって摂理を案出し、それによって巨大なもの、微細なもの、複雑なもの、単純なものの区別なく、存在のあらゆる側面を経綸しているのです。それは一歩一歩の進化という形で働くのであって、大変革によって一挙に行われるのではありません。人間の力にも制限が加えられています。人間にできないことがあるということです。自由意志が与えられていますが、それにも限界があります。 『シルバー・バーチの霊訓 (10)』(近藤千雄訳) 潮文社、1988、pp. 188-191 ***** お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 2, 2011 04:37:39 AM
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