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カテゴリ:真理・シルバーバーチの霊訓
46-x (地上の人間には理解することが容易でない霊界の本当の姿)
とても難しいのです。しかし、その理解のための準備が睡眠中に行われております。睡眠中は肉体を離れて一時的に 『死ぬ』 わけです。そうすることによって徐々に霊界生活に慣れていきます。そうしないと、いよいよ本当の死が訪れた時に何のことか理解できず、新しい生活環境に順応するのに長い時間を要することになります。地上にいる間の夜の霊界旅行での体験はぜんぶ潜在意識の中に収められています。それがいつか意識にのぼってきて、霊界があまり不思議に思えなくなります。 『シルバー・バーチの霊訓 (8)』(近藤千雄訳) 潮文社、1987、pp. 84-85 ***** 46-y (背丈が6フィートの人間は霊界へ行っても6フィートか) どうやらこの質問には個人的興味が混ざっているようですね。答えは『イエス』です。物的身体は霊的身体の写しだからです。ただし、そのサイズは霊的発達程度とは関係ありません。身体は巨人でも霊的には小人である場合があります。 『シルバー・バーチの霊訓 (8)』(近藤千雄訳) 潮文社、1987、p. 85 ***** 46-z [9-c](人間が他界した直後には言語上の問題があるか) あります。いわゆる "幽界"、つまり地球にもっとも近い界層においてはあります。そこには霊的自覚がほとんど芽生えていない者が住んでおります。まだ言葉が必要だと思い込んでいるので言葉を用いております。 ----さらに、「一方が英語で話し相手がフランス語で話しても、実際は思念で通じ合っているわけでしょうか」という質問に対して---- もちろんです。もともと思念には言語はないのです。言語というのは思念を単語に移しかえるための道具にすぎません。私たちの世界では思念に実体があり、物質は影のようにしか見えないことをよく理解してくださらないといけません。 『シルバー・バーチの霊訓 (8)』(近藤千雄訳) 潮文社、1987、pp. 85-86 ***** 46-za (もしあなたと一緒になれば、そこは私の精神で作られた世界か) そうとも言い切れません。もしもあなたが今の私と同じ位置、つまり同じ発達レベルにあると仮定すれば、あなたは私に見えるものを見、私が体験するものを体験します。が、いま私が住んでいる世界---あなたといっしょになると仮定している世界が何で構成されているかはまた別の問題です。これは言語で説明するのは困難です。言語というのはその裏側にある実在をいくらかでも表現しようとして絵画や概念やシンボルなどをそれでくるんでみているに過ぎません。 私たちは "生命とは霊である" というところから出発いたします。私たちの世界はあなた方の世界と同じく霊というものがあってはじめて存在しているのです。その霊は無限です。したがって無限の顕現をしています。 『シルバー・バーチの霊訓 (8)』(近藤千雄訳) 潮文社、1987、p. 87 ***** 46-zb (霊体も物質であって原子の回転速度が一段と速いだけなのか) それもこれもみな、ただの用語にすぎません。『物的』とか『物質』とかを用いる時はその意味を明確にしておかないといけません。ある意味では霊の世界は『霊化された物質』で出来ていると言うことができます。しかしその時の『物質』という用語はあなた方が理解しているものとは違います。また『物的身体』というのも、今あなたがおっしゃった通り原子で出来ているのです。原子はさらに細かく分析できますが、そのうち計量器では分析できない段階に至ります。するとその原動力は物的なもの、形あるものではないことになります。つまり物質が形あるものというのはそう見えるというだけのことということになります。固いと思うのは錯覚なのです。 人間にはいろいろな身体があって、それぞれ発達程度が異なります。その肉体から脱け出ると、それとそっくりの幽質の身体をまといますが、それは地上時代からずっと使用し自我を表現していたものです。バイブレーションが地上生活にふさわしい高さだからです。その幽体は地上で肉体が実感があったように、他界直後の生活においては立派に実感があります。 すべては意識している『場』の問題です。船に乗っている夢を見れば、眠っている間はそれが現実です。『夢だった』と思うのは目が覚めた時です。そして船は幻だったことになります。もしも永遠に夢を見つづけるとしたら、その夢の生活が現実となることでしょう。目が覚めている間は地上生活が実感があるように、その夢の状態が実感があるように思いつづけることでしょう。 今のあなたは夢を見ているのではないという確証はどこにあるのでしょう? もしかしたら、ここにいる人たちといっしょに同じ夢を見ているのかも知れないということも考えられるのです。こんなことを申し上げるのは、地上には霊的実在に目覚めていないという意味で地上生活という夢を見つづけている人間が無数にいるからです。その夢から覚めて、ようやく自分は肉体ではないという自覚を得るのです。何度も申し上げているように、あなた方は肉体をたずさえた霊であって、霊をたずさえた肉体ではないのです。これは大変な違いです。 『シルバー・バーチの霊訓 (8)』(近藤千雄訳) 潮文社、1987、pp. 90-92 ***** 46-zc(われわれにはもともとパーソナリティ=確定した人物像= はない) おっしゃる通りです。パーソナリティというのは地上にいる間だけのものです。地上生活のために便宜上つけているマスクのようなものです。地上生活が終わればマスクは捨て去ります。 『シルバー・バーチの霊訓 (8)』(近藤千雄訳) 潮文社、1987、p. 92 ***** 46-zd (霊界では行動範囲に限界はあるか、自由に旅行もできるのか) もちろん出来ます。ただし、それが出来るだけの資格を手にすればのことです。霊格の問題です。そこに目的意識というものが無くてはなりません。(遊び半分、面白半分の宇宙旅行や探険は許されないということ---訳者) 『シルバー・バーチの霊訓 (8)』(近藤千雄訳) 潮文社、1987、pp. 109-110 ***** 46-ze (地上で始めた仕事を霊界でも続けている人が大勢いる) そちらで医者だった者がこちらでさらに勉強し、地上での知識をプラスして病気の治療に当たっている人がたくさんいます。それが霊的開発の証なのです。 『シルバー・バーチの霊訓 (8)』(近藤千雄訳) 潮文社、1987、p. 110 ***** 46-zf [9-f](霊界の生活にも地上と同じ朝・昼・夜の変化があるのか) こちらへ来て間もない初期の段階ではそういうことがあります。まだ新しい霊的環境に順応していないためです。霊界の低い界層、いわゆる幽界の環境は地上とそっくりです。これは新参者が感覚を馴らしていくための神の配慮です。 そうしないと新参者は戸惑うのです。そうしたことから、今おっしゃった人のように、霊界へ来てからも朝と昼と夜の生活があるように思っている霊がいることになります。そう思うからそうなるのです。私たちの世界は思念が実在となる世界です。悟りが芽生えるまではその過渡的な状態がつづきます。それとは別に、あとに残した人の援助がしたくて、あえて霊的向上を望まないというケースもあります。 『シルバー・バーチの霊訓 (8)』(近藤千雄訳) 潮文社、1987、pp.114-115 ***** 46-zg (家も庭園もあり湖も海もある霊界の輝かしい生活) 霊界にも庭園もあれば家もあり、湖もあれば海もあります。なぜかと言えば、もともとこちらこそが実在の世界だからです。私たちは形のない世界で暮らしているのではありません。私たちもあい変わらず人間的存在です。ただ肉体をもたないというだけです。大自然の美しさを味わうこともできます。言葉では表現できない光輝あふれる生活があります。お伝えしようにも言葉がないのです。 ごく自然な形で霊界でも家に住みます。ですがその家は地上生活(の善行・徳行)によってこしらえられたものです。庭園も自然な形で存在します。手入れがいると思えは手入れをします。究極的にはそうしたもの一切が不要であるとの悟りに達しますが、それまではそうした(地上とよく似た)環境の維持に必要な配慮がちゃんとなされております。もしそうした配慮がまるでなされなかったら、地上から霊の世界への移行は大へんショッキングな出来ごととなってしまいます。 霊界での生活は段階的に向上していくようになっています。各界層、段階、ないし表現の場は、下と上とが地理的にではなく進化的な意味で重なり合い、次第に融合しております。魂が向上し、より高い境涯への適応性が身につくと、自動的にその境涯に置かれるのです。これも完全な叡智の完壁な働きの一例です。何一つ偶然ということがないのです。 (訳者注 - オーエンの『ベールの彼方の生活』第四巻でアーネル霊が、暗黒界から救出された霊の集団によって作られたコロニーについて次のように述べている。《その後もそのコロニーは向上しつつあります。そして増加する光輝の強さに比例して少しずつその位置が光明界へと移動しております。これは天界における霊的状態と場所との相互関係の原理に触れる事柄で、貴殿には理解が困難、いや、不可能かも知れません。それでこれ以上は深入りしないことにします》) 霊的に病んでいる場合はこちらにある病院へ行って必要な手当てを受けます。両親がまだ地上にいるために霊界での孤児となっている子供には、ちゃんと育ての親が付き添います。血縁関係のある霊である場合もありますが、霊的な近親関係によって引かれてくる霊もいます。このように、あらゆる事態に備えてあらゆる配慮がなされます。それは自然の摂理が何一つ、誰一人見捨てないようにできているからです。 『シルバー・バーチの霊訓 (8)』(近藤千雄訳) 潮文社、1987、pp. 115-117 ***** 46-zh (死んで霊界入りした人間を指導する霊界の組織) - 死んで霊界入りした人間は自分が死んだことが自覚できるのでしょうか。 みんながみんな自覚できるとはかぎりません。大半の者が自覚できます。が、完全な自覚(悟り)に到達するには相当な時間が掛かります。 - 霊界の人たちは何もしてくれないのでしょうか。 いえ、いろいろと指導しております。本人は気づかなくても陰から手助けしております。 霊界はすべてが知れるように組織されております。上層界には高級霊による政庁が組織されており、その中には一度も物質界に誕生したことのない霊(天使)がいます。その霊たちが神の計画推進の任に当たっているのです。大規模な総合計画があって、有意識・無意識の区別なく、あらゆる存在を包摂しております。その宇宙的規模の摂理から外れて存在できるものは何一つありません。 『シルバー・バーチの霊訓 (10)』(近藤千雄訳) 潮文社、1988、pp.60-61 ***** お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 3, 2011 06:15:49 AM
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