70-2があります『次の日記』で進んでください
70-a (不合理と思える教えは遠慮なく拒否せよ)
いかに立派な霊であっても、いかに高級な霊であっても、いかに博学な霊であっても、その説くところがあなたの性分に合わないとき、不合理あるいは不条理と思えるときは、遠慮なく拒否するがよろしい。あなたには自由意志があり、自分で自分の生活を律していく責務があるのです。私たちがあなた方の人生を代りに生きてあげるわけにはまいりません。手助けはできます。指導もできます。心の支えになってあげることもできます。ですが、あなた方自身が背負うべき責務を私たちが背負ってあげるわけにはいかないのです。
私たちの願いはあなた方に生き甲斐ある人生を送っていただくこと、つまり内在する才覚と能力と資質とを存分に発揮していただくことです。そうなることが現在の地上生活の目的に適うことであると同時に、やがて死を迎えた暁に次の段階の生活への備えもできていることになるからです。これが私の基本的人生観です。そして、これまで永い間私の訓えに耳を傾けてくださった方なら認めてくださると思いますが、そうした人生を最終的に判断を下すのは、あなた自身の "理性" であるというのが私の一貫した考えです。
『シルバー・バーチの霊訓(2)』(近藤千雄訳)
潮文社、1985、p.58
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70-b (理性を働かせて徹底的に吟味せよ)
価値あるものは苦難と悲哀なしには達成できません。地上は地上なりの教訓の修得方法があるのです。それは避けるわけにいきません。今、霊的勢力が地上全土にわたって活動を開始しつつあり、あらゆる地域の人々に霊的メッセージが届けられ、その心を明るく照らし、その光が広まるにつれて物質万能主義の闇を追い散らしていきます。
私たちは罰の恐ろしさをチラつかせながら説得することはしません。恐怖心から大人しく生きる、そんな卑屈な臆病者になってほしくはありません。内部に宿る神性を自覚し、それを発揮することによって霊位を高め、一段と崇高な真理と叡智を身につけていただくことを目指しております。
そのためには、まず、これまでに得たものに不満を抱くようにならなければなりません。なぜなら、今の自分に満足できず、さらに何かを求めようとするところに、より高い知識を得る可能性が生まれるものだからです。満足する人間は進歩が停滞します。満足できない者はさらに大きな自由へ向けて突き進むことになります。
私たちは決してあなた方に "理知的に難しく考えず、ただ信じなさい" とは申しません。逆に"神から授かった理性を存分に駆使して私たちを試しなさい。徹底的に吟味しなさい。その結果もし私たちが述べることの中に低俗なこと、邪険なこと、道義に反することがあると思われたら、どうぞ拒絶してください″と申し上げております。
私たちはひたすらあなた方に"より高潔な生活″、自己犠牲と理想主義を志向する生活を説いております。もしそれをお認めいただければ、それは私たちの訓えの中身に神の刻印が押されていることを証明するものと言えましょう。
たった一個の魂でも目覚めさせることができれば、悲嘆に暮れる者をたった一人でも慰めてあげることができれば、怖じ気づいた人の心を奮い立たせ人生に疲れた人に生きる勇気を与えることができれば、それだけでも努力の甲斐があったことにならないでしょうか。
私たちのメッセージを耳にして心に動揺を来し、困惑し、わけが分らなくなりながらも、先入主的信仰によって身動きが取れずにいる人が大ぜいおります。しかしその人たちも、牢獄に閉じ込められた魂へ向けて呼びかける自由の声を耳にして煩悶しています。
そういう人たちにこそ私たちのメッセージを届けてあげるべきです。思いも寄らなかったものが存在することを知ってそれを必死に求めようとする、そのきっかけとなります。真理とはすべて踏み石の一つにすぎません。
この霊媒の口をついて出る言葉にもしもあなた方の理性に反撥を覚えさせるもの、神の愛の概念と矛盾するもの、愚かしく思えるもの、あなたの知性を侮辱するものがあるとすれば、それは、もはや私の出る幕ではなくなったことを意味します。私の時代は終ったことになります。
この交雲会これまで数え切れないほど催されておりますが、その間私が魂の崇高なる願望と相容れないものを述べたことは、ただの一度もないと確信しております。私たちは常にあなた方の魂の最高の意識に訴えているからです。
『シルバー・バーチの霊訓(4)』(近藤千雄訳)
潮文社、1986、pp.101-104.
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70-c (あなた方の理性にだけ訴える)
私たちの使命はもはやそんな、しょせん人間にすぎないものを超人的地位に祭り上げることではありません。真理と知識と叡智をお届けするだけです。私が地上で傑出した指導者であったか、それとも哀れな乞食であったか、そんなことはどうでも良いことです。私の述べていることに真理の刻印が押されていれば、それでよろしい。名前や権威や聖典に訴えようとは思いません。訴えるのはあなた方の理性だけです。
人間の知性に矛盾を感じさせるようなことは何一つ要求いたしません。人間としての道義に反すること、尊厳に関わること、屈辱感を覚えさせること、人類を軽蔑するようなことは決して説きません。私たちは全人類の意識を高め、地上における一生命としての位置、宇宙における位置、創造神とのつながり、一つの家族としての地上人類どうしの同胞関係を正しく理解する上で必要な霊的真理を明かそうとしているのです。
これまでのように何かというと聖典の文句を引用したり、宗教的指導者の名前を持ち出したり、宗教的権威をふりかざしたりすることはいたしません。私たちは神から授かっている理性を唯一の拠りどころとして、それに訴えます。ただ単に聖書に書いてあるからというだけの理由で押しつける方法はとりません。理性が反撥を覚えたら拒否なさって結構です。ただ、よく吟味してくだされば、私たちの説くところが霊的存在として最高にして最善の本能に訴えていること、その目標が間違った古い考えを洗い落とし、代って、あとできっと有難く思ってくださるはずの大切な真理をお教えすることであることが分かっていただけるものと確信します。地上のいわゆる宗教は真実を基盤とすべきであり、理性の猛攻撃に抗しきれないようなものはすべて廃棄すべきです。
『シルバー・バーチの霊訓(4)』(近藤千雄訳)
潮文社、1986、pp.110-111
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70-d (理性に反し叡智と相容れないものは拒否せよ)
私たちの述べることの中にもしもあなた方の理性に反すること、叡智と相入れないように思えることがあれば、どうか受取ることを拒否なさってください。良心の命令に背いてはいけません。自由意志を放棄なさってはいけません。私どもは何一つ押しつけるつもりはありません。強要するものは何一つありません。私たちが求めるものは協調です。ご自分で判断されて、こうすることが正しくかつ当然であるという認識のもとに、そちらから手を差し伸べて協力してくださることを望みます。理性をお使いになったからといって少しも不快には思いません。私どもの述べたことに疑問をもたれたからといって、いささかも不愉快には思いません。その挙げ句に魂の属性である知性と理性とがどうしても納得しないということであれば、それは私たちはあなた方の指導霊としては不適格であるということです。
私はけっして盲目の信仰、無言の服従は強要いたしません。それが神が自分に要求しておられることであることを得心するがゆえに、必要とあらば喜んで身を捧げる用意のある、そういう協力者であってくれることを望みます。それを理想とするかぎり、私たちの仕事に挫折はありません。ともに神の使いとして手に手を取り合って進み、神の御心を日頃の生活の中で体現し、われわれの援助を必要とする人、それを受け入れる用意のある人に手を差しのべることができるのです。
『シルバー・バーチの霊訓(6)』(近藤千雄訳)
潮文社、1986、p.64
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