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カテゴリ:真理・シルバーバーチの霊訓
80-a (霊界でも常に実験し知識を増やす努力をしている)
(ウィリアム・クルックス、オリバー・ロッジ、その他の世界的科学者が心霊現象を調査研究したビクトリア時代(ビクトリア女王が王位にあったのは一八三七年から一九〇一年であるからスピリチュアリズム勃興からほぼ半世紀と重なる―訳者)と違って今日では心霊的能力が言わば顕微鏡的精密さをもって厳しく観察されているが、霊界では地上の科学をどう見ているであろうか。まず科学者の質問から始めよう。) ―私は人のために役立つことをすることが大切であることはあなたの霊言で読み、かつそう信じておりますが、それと同時に大切なのは知識を集積すること、つまり学問だと思います。霊界では学問はどういう具合に行われるのでしょうか。この物質界を科学的に研究するには実験ということをしますが、霊界でも実験を行うのでしょうか、それともやはり純粋に精神的なプロセスで行われるのでしょうか。 知識は大霊と同じく無限に存在します。それには終止符を打つところがありません。進歩すれば、さらに多くの知識を手にする資格ができます。頂上を求めて永遠に登り続けるようなもので、ここが頂上だと思ったら、その上に別の頂上が見えるということの連続です。知識・進歩・発達・開発・発展― こうしたものはすべて永遠のプロセスです。 この物質界ではAをBでやってみたらどういう結果が出るかということを知るために実験を行います。霊界でも実験を行いますが、物質界のやり方とはまったく異なります。なぜかと言いますと、私たちの関心は“霊”が見せる千変万化の顕現の仕方に向けられているからです。ある意味ではいつも実験をしていると言えます。 簡単な例をあげてみましょう。霊界には死後もなお、地上の病気で苦しんでいる人を救うことに専心している医師がおります。その医師たちには地上で身につけた技術があります。人体のメカニズム、その働き具合をさまざまな反応の仕方についての知識も具えております。 さて一方、こちらの世界には地上にない種類のエネルギー、程度を異にする霊力、つまり生命力があり、それに地上で得た知識を組み合わせて地上の患者を治すことを研究しております。それは患者に応じてさまざまなエネルギーを組み合わせる、絶え間ない実験であるといえます。 強すぎてもいけないのです。強すぎると、それが通過する治療家に障害がおきます。治療家の受容力が発達し、より高い運動速度、威力、どう呼ばれても結構ですが、それに耐えられるようになると、治癒エネルギーの強度を増すことができます。 ここでもまた言語を超越したものを表現するための用語を見つけるのに苦労しますが、要するにこちらの世界でも常に実験し、休みなく知識を増やす努力をしております。 『シルバー・バーチの霊訓 (11)』(近藤千雄訳) 潮文社、1988、pp. 148-150 ***** 80-b (科学者の研究は物的次元から高度な次元へと進歩していく) (別の日の交霊界でシルバーバーチが “一世紀前の科学的宇宙像は今日とは雲泥の差があります”と述べたのに対して) ― それは、これからは科学者も物的次元の研究から高度な次元へと進歩していくことを意味しているのでしょうか。 (原子のような)目に見えない世界とその未開発の潜在的エネルギーの研究が進むにつれて、みずからの論理でそうならざるを得なくなるでしょう。科学者が霊的に成長すれば、その途方もないエネルギーを善の方向へ使用する方法も分かってくることでしょう。 そうするうちに自分自身にもそうした無尽蔵の見えざる能力が潜在していることを知って、次第にその開発へ目を向けるようになるでしょう。外部にあるものは内部にあるものが顕現したにすぎません。(驚異としか言いようのない人体も内部にある霊すなわち生命力が顕現したものであることを言っている―訳者) その生命力は物質のように切り刻むことはできません。分割して別々の容器に入れておけるような性質のものではありません。原子の生命も本質的には人間や動物や花や樹木の生命と同じものです。全体が一つの生命体であり、それが無限の形態で顕現しているのです。 ― 地上の科学者はもうそのレベルまで理解が達しているでしょうか。 いえ、まだまだですが、理解している人もいます。オリバー・ロッジなどは現象の裏側の実在についての霊的な理解ができた科学者のよい例です。 『シルバー・バーチの霊訓 (11)』(近藤千雄訳) 潮文社、1988、pp. 150-151 ***** 80-c(科学者が地球全体を破壊するに至ることはない) ― 今後その理解が科学者一般に行きわたるまでには多くの人間と多くの物を犠牲にすることになるのでしょうか。 いえ、科学者のすることにも限界があります。どんなに間違ったことをしても地球全体を破壊してしまうまでには至りません。自然の摂理によって、地上でなされる被害は一部の人間が考えているほど恐ろしいものとはならないようになっているのです。しかも究極的には大霊の意志が地上に行きわたることになっているのです。その計画を挫けさせられる人間は地上にはいません。遅らせることはできます。邪魔することもできます。しかし大霊を支配することはできません。 大自然の摂理の仕組みと働きについて幾ばくかの見識を得たわれわれは、いかなる事態が起きようと、あるいは人間がいかに愚かしいことをしでかそうと、大霊の意志はかならず行きわたるとの確信をもつことができます。そしてその摂理によってますます多くの愛と哀れみと慈悲と互助とが地上で行使されるようになります。 科学も絶対に誤りを犯さないわけではありません。科学者とて間違いを犯す可能性をもった、ただの人間にすぎません。私は科学を神のごとく絶対視してはいません。地球には科学者が言っているような終末はありません。永遠に存在し続けます。 いかがです、あなたも科学者の見解が間違っていた例をいくつかご存知でしょう? ― 私は科学者ではないのですが、正直言ってその点を真剣に考えさせられることがありました。 科学者の見解が間違っていた例をいくつかご存知なのでしょう? ― 実にたくさんあります。 ですから地球の未来について科学者が述べたからといって、それが必ず正しいという保証はどこにもないのです。(訳者注-部分的にしか紹介されていないので、この前にどういう対話があったのかは憶測の域を出ないが、私の推測では、たとえば最近さかんに警告されている、スプレーなどに使用されているフロンガスによる成層圏の破壊の問題が出て、このまま破壊が進めば紫外線が大量に地球に届いて、地上の生命が死滅するという説が出されたのであろう) 『シルバー・バーチの霊訓 (11)』(近藤千雄訳) 潮文社、1988、pp. 151-153 ***** 80-d [18-za](大霊が無限の叡智によって人類のために案出した進化の法則 ) ローデシアから訪れた科学者に向って― これまでたどられたあなたの足跡も、背後霊によって暗闇から光明へと導かれてまいりました。これは、低く下がれるだけ高く上がれるという償いの法則によって本当の意味での人間的向上が得られる過程の一環なのです。光を見出すのは闇の中においてこそです。喜びを見出すのは悲しみの中においてこそです。真実の自我を見出しはじめるのは、地上にはもはや頼りになるものは何もないと思えた時です。 これは人生の両極性という、魂が其の自我を見出すための原理の一つです。果てしない宇宙に展開する生命活動の一つ一つが、規律づけられた何らかの役割をもっております。嵐も、青天と同じく、無くてはならないものなのです。闇も、光と同じく、無くてはならないものです。人間性が鍛えられるのは苦しい試練の中においてこそです。その両極性を体験してはじめて成長しはじめるのです。 私は庇理屈を言っているのではありません。大霊がその無限の叡智によって地上の人類のために案出した進化の法則がそうなっているということを申し上げているのです。言い替えれば、必要なものは時が熟せば与えられるということです。困難・試練・試金石・障害、こうしたものは魂がその潜在的資質を発揮するために欠かせない体験です。一種の触媒を掟供してくれるのです。 これまでを振り返ってごらんになれば、最大の窮地と思えた時に道が開かれ、真実の自我を発揮する方向へと導かれていることに気づかれるはずです。同じ道をたどった人からあなたがそうして援助していただいたように、こんどはあなたが人に手を差しのべてあげるチャンスが与えられることになるでしょう。 それが神が意図されている仕組みなのです。すなわち集団ではなく一人ひとりが自我の開発を促す永遠の真理を手にし、さらにそれを縁ある人に授けていくという仕組みなのです。援助を求める人を絶対に拒否してはなりません。同時に、たとえ援助の手を拒否されても、それは、せっかくの自己革新のチャンスを目の前にしながら、その人がまだ受け入れる用意ができていなかったためにそれを生かし切れなかったのですから、気の毒に思ってあげることです。 あなたはそれだけのものを授かることができたことを喜ばないといけません。同時に、それとて、これから先あなたを待ちうけている無限の真理のほんの一かけらに過ぎないことを知ってください。まだまだ掘り起こすべき霊的財宝が山ほどあるのです。人のために尽くすチャンスも数多く与えられてまいります。 『シルバー・バーチの霊訓 (11)』(近藤千雄訳) 潮文社、1988、pp. 153-155 ***** 80-e(霊界でも病気治療や霊視能力などの研究が続けられている) 別の日の交霊会で― 私たちは片時も休むことなく研究に勤しんでおります。とくに病気治癒、霊視能力、入神現象の質を高めるための新しい方法、アイディアを実験しております。しかし所詮は、そちらから提供してくれる材料次第です。そこには自由意志と個人的義務の問題がからんでおります。 私たちはそちらから提供していただくものより多くのものをお返ししております。それが私たちの義務なのです。扶助し支援すると同時に、人間としての基本的な必要品に事欠くことのないように計らうことになっております。それから先のことは本人が決めることです。(あくまで謙虚に神の道具として辛抱するか、金銭欲や虚栄心といった煩悩に負けて堕落していくかは、自由意志と個人的義務の問題であって、そこまで立ち入ることは許されないということ―訳者) 私たちはあくまでも謙虚に献身してくれる道具が欲しいのです。何度も申し上げていることをここで改めて申し上げますが、献身こそ霊の正貨です。大義のために献身することこそ気高いのです。なぜならその時あなたは内部の神性を発揮していることになるからです。 私たちからお願いしたいのは、倫理的意識をできるだけ高く持っていただきたいということです。私は常に皆さんを成就というゴールへ向けて、ゆっくりではありますが確実に進歩するよう援助しています。申し上げていることは至って単純なことです。人間として最善を尽くしていてくださればよいのです。そうすれば私たちの協力のもとに、縁あって訪れてくる人の力になってあげることができるのです。 『シルバー・バーチの霊訓 (11)』(近藤千雄訳) 潮文社、1988、pp. 155-156 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 5, 2011 05:20:57 AM
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