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ねこにまたたび

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げじねこ

げじねこ

May 20, 2009
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カテゴリ:舞台&役者

庭に立った二人。
試合前に場を確かめ、邪魔になりそうな大きな石をどける。
と、風が強く吹く中、ギャーーっといかにもおどろな鳴き声に一瞬びびる。
確かにナニかがある、と思わせる張り詰めた空気と、それに負けぬすでに勝負に集中し構えるふたり。
それを照らす月の光のなんと美しいこと。
が、やっぱり素直に試合させてくれないのは井上先生。
この緊張感のなか、言ってるセリフは6年前を思い起こさせるけれど、
そこでたかがひとこと、いいわけがうまくなっただけで手を上げたという武蔵。
・・・脱力だよ・・・当人らが真面目であるから尚更、ってのがウマイけど。
けれどそんなこちらの脱力とは反対に、益々熱気溢れるふたり。けれど周囲は嵐が吹き荒れたかのよう。

と、経帷子の沢庵・宗矩らが必死の形相で『生きよォ~』『死ぬなァ~』
とっさに武蔵・小次郎はふたりを斬るが苦しみつつも死なない彼ら。
と、まいや乙女をはじめであった全てのものたちがみな経帷子で登場しそれぞれ
『殺すなァ~』『殺されんなァ~』『もったいないのにィ~』『たいせつなのにィ~』
ここまでは、いい。けどそれからがなぁ(笑)。
『ばかァ~』『わからずやァ~』『あほォ~』・・・・・(笑)で、斬られても死なない、と。

ここまで真正面から『命大切』を主張してくるとは、もうそこにびっくり。
びっくりしてるのは武蔵と小次郎も。
こっからはそんなふたりと同じ目線で亡霊と向き合うことになるんだよね。

それぞれ、過去をのべ、命を粗末にしたことを悔いており、ために成仏できなかったと。
生きているというだけでまぶしく輝かしいことを、それこそ生きているものたちに伝えたくとも誰も耳をかそうとしない。
そこへ誉れ高い剣客二人の登場。
ここぞとばかり結界を張り、本当におられる方々になりすまし、お芝居仕立てにしてあの手この手で思いを伝えようと。戦わせまいと。
願いがかなえば成仏できるというものたちに、いつのまにか構えていたはずの刀も下げていたことに気がつき、ついにふたり同時に鞘に収める。

ふわぁぁぁっとした穏やかな表情になる亡霊たち。
次々成仏していくなか、宗矩が最後まで能狂いらしく新作能を仕上げて(ベタなオチだ・笑)去る。
平心も鏡合わせの謎解きをして(もと鏡職人の本領発揮)にこやかに去る。
と、小次郎の足元に半分に欠けたお守り代わりの鏡。拾い上げしまう小次郎。


いつのまにか蝉時雨の夏の朝が周囲に戻ってきていた。
本当に日の光がまぶしく、夏のさわやかな空気を確かに感じられたし風がそよいでいったような気がしたんだよね。

そこから無言で旅支度を始める二人。
襷を外し、脚絆を巻くのだけれど。
はっきりいう。ここも完全にサービスショット♪
細い足首はそれまでも魅せてくれていたけれど、ここではひざまで捲り上げてくれてさぁ(*^^*)。
いやぁ~色気って言うのとは違うけれど(ソレは上:梅芸で古田さん&特に堤さんが充分すぎるほど滴らせてくれた)、
なんというか、清冽なナニカ。なんだろう・・・まさに若いがゆへの清清しいオーラが満ちていて。
それを黙々とするのがまたいいんだよね。

それからの会話は、殺気なんぞどこへ行ってしまったのか、のどかなもの。
まぁあまりにも荒唐無稽な話の流れに気勢もそがれようものだが、
なにより小次郎が皇位の話からふと剣客の身分を捨てることになるのも悪くないな、そう思ったことを告白するのね。
常に戦いの中に身を置く生活に明け暮れていて、それが当たり前であった。ということは常に緊張感ただよう暮らしでもあったはず。
それが不意に崩され自ら望まぬカタチで中断されようとしている・・・心の奥底に封印していた自らもきっと忘れていた安穏とした部分が表に出てきちゃったのかな。
小次郎が思わず洩らした一言「いま、何位くらいだろう?」に「ふたりとも真ん中辺り、当たり前の人」と答える武蔵もとんがった空気はもうどこにもない。

武蔵「北の方のどこか、山間の荒地に鍬でも打ち込もうか。もう三十五だ。そろそろ人の役に立つことも考えないとな」
小次郎「越前あたりの寺の軒下でもかりて、境内の草むしりでもはじめるか、雨の日は武蔵に習って書を読もう」
武蔵「まだ二十九ではないか。老け込むなよ」
小次郎「おぬしもな」


ちょっとちょっと。
いくらなんでもソレはないんじゃないの?あまりにも一気にジジイだぞ(蹴)。
いやいやそれくらい強烈な体験をしたということだろうけれど。

と、そこへ本物の平心・沢庵・宗矩・まい・乙女らがやってくる。
旅立つ様子の武蔵を不思議におもいつつ引き止める。
と、まいが小次郎に目をとめ武蔵に問う。「こちらのお方は?」

武蔵がなんともいえない間をおいていう。
『友人です』

乙女が更に小次郎問う。「お名前は?」

けれどそんな問いかけなどなかったかのように武蔵にかけたことばは『からだをいとえ』。
武蔵も返す『おぬしも達者でな』。

ふたり、振り向きもせずそれぞれに旅立ってゆく。
そう、振り向きもしないことがそれぞれの執着(果し合いをしたい気持ち)をすっぱりと手放したことの現れ。
余計な言葉はない。
けれどそれは二人が確かに新しいナニカを同時に得たことの証に思えた。

寺では何事もなかったかのように、平心が一世一代の寺開きの挨拶を始める。


    *    *    *    *    *


観終えて残ったのは心地よい疲れ。
観てるだけ~(笑)なのにね。あはは。
でも、思いっきり笑って見惚れて萌えて、それは武蔵と小次郎だけでなく出演者すべてにいえることで。
なんと幸せな空間だったことか。


【むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく】


井上ひさしさんの目指す本のあり方だそうだ。
まさに。
そういう脚本であり舞台だった。
タイトルの名を借りてでも伝えたかったのはそんなあまたの命を奪ってきたものたちが、奪われたものたちの想いをくみとり、
せっかく生き延びた命を大切にして欲しい。
争いはもう止めて欲しい。
そう、実にシンプルなもの。
それをッキラ星のごとく輝く二人の若者と美しい娘、それを支える芸達者なものたちの力を借りてこれでもか、とほとんど力技(笑)。

 

 

過去にいくつか井上作品の舞台を観ている。
【天宝十二年のシェイクスピア】【箱根強羅ホテル】【薮原検校】【表裏源内蛙合戦】
どれも言葉遊びや韻の踏み方がおもしろい作品ばかりだった。
特に時代劇(【箱根強羅ホテル】以外)では、その言葉や韻の踏み方がどこか淫靡でもあり、馴染みのない日本語がこれでもかとでてくるんだよね。
まぁ時代小説はもともと好きだったので全くわからないってことはなかったけれど、えぇ~日本語ってこんなにたくさんの言葉を作り出していたの?と。
いやまぁ私が単なる無知・・・ってことですが(^^;)。
そんなどこか摩訶不思議世界につれていかれそうな雰囲気もありながら、でも結局はどれもこれも愚かでかわいくて醜くて愛しい、そんなヒトたちの物語。

比べて今度の【ムサシ】は、淫靡さがどこにもなかった。
いやあえてそうしなかったのかな?
摩訶不思議世界はあったけれど、この淫靡というか、人が本来隠したい、みせたくない暗黒面をあえて見せなかったような気がする。
言葉遊びで翻弄するより直球勝負とでもいうか。

それは、剣豪武蔵のこれまでの歩みや暗部をあえて掘り下げなかったことからきているのかも。
恐ろしいほど勝負にこだわって生きてきた三十五年だと思うし、勝ち続けるためにはいろいろあったはずなのに、板の上にいた武蔵はそんな闇をあまり感じさせなかった。
なるほど、剣の道に生きる本能、プラスどこか野生を感じさせる佇まいはある。
あるが牙は見えない。いやあえて隠しているのかもだが。修行のたまものとしてね。でも爪は研いでいた。

一方小次郎。
隠しきれない育ちのよさ。というより真っ正直に剣一筋に生きてきたもの独特のある種の天然さ、とでも言おうか(笑)。
どこか愛さずにはいられない愛嬌が零れ出ている。

そう描かれているから、再び戦うべくしてであったふたりだが、言ってることやってることのどこにも『血の匂い』がしないのだ。
そう。
持っているのは真剣。
積み重ねてきたのは対戦相手の死、であるはずなのにそんな深紅の闇がどこにもない。
なぜなんだろう?
たぶん・・・勝手な解釈ではあるけれど、無駄な殺生はしてこなかったから?
それまで戦うべき相手とお互い真剣勝負をしてきたはず。だから、どんなに血にまみれようと、奥底の魂は無垢のままでいられたような気がする。
いや逆か?
竜也くんと旬くんのふたりが『役者ばか』という無垢な魂を内包しているから今回の武蔵・小次郎になったのかも。
これはもう、あえて、としかいいようがないよね。

 

こっからは、たわごとです。
えっと。武蔵35歳、小次郎29歳には申し訳ないけどとても見えませんでした(笑)。
ま、武蔵のほうがちゃんと年上にはみえましたが、この舞台ではどうみてもおまえらガキ!としかいいようのない場面が多くて(爆)。
というか、ムサシも小次郎も剣のうではともかく、人としてはまだまだ未熟←意地のつっぱりあいとか
この日は友人として別れた。が、剣の道をそう簡単に捨て去ることはできないのでは?
だってまだ落ち着くには若すぎるし、たぎる血とか、高ぶる感情とか、押さえ込むの大変でないかい?なんて。
一応しばらくは言葉どおり鍬を持ち、草むしりをしているだろう。
けど、ふとしたことで『やっぱりあいつ許せない!』とか『やっぱり拙者が一番!』なんてこと思っちゃったりしないのかな?って。
だって人生まだまだこれからだよ。そんなに若くして人は悟りなんて出来ないと思うし、仙人じゃないんだからさー。
だからいつかまたどこかでまみえる日が来るかも。
でもそのときは恨みも何もなく、ただひたすらわが技量をためしたいだけ。
そう思っても不思議ではないかなと。
うん、むしろそう思って欲しいと。

ヒトって、完璧でないから魅力を感じると思うのね。
完璧なヒトを目指すのはアリでも、いざ完璧なヒトになったらなんだかつまんないような気がする。
だって、いろんな感情があるからこそ生きてる実感わくんだもの。
どんな感情も制御できるのはすばらしいけれど、そうあらねばならぬ場合も多々あるけれど、それでもそこに余白、は必要だよね。
その余白を持ったオトナがいいのだ。


そして舞台ではそんなオトナの余白の魅力を存分に教えてくれた宗矩・沢庵・平心・まいに心からの拍手を。
そのなかで余白がまだ少ないワカゾーとしての魅力を発揮してくれた武蔵・小次郎にももちろん拍手を。
そしてワカゾーなのにオトナの演技の片鱗を魅せてくれた乙女にも拍手を。

とっても楽しい心踊る舞台だった。
大坂は梅田の地で、上では『蜉蝣峠』、下では『ムサシ』。
同時期にこの対照的な芝居を観れた、まさにGWを過ごせたことに感謝だ。

 

いつか、今度は『業』を感じさせる競演を是非。
30過ぎてからくらいに劇団☆新感線の『アテルイ』とか観たいなぁ。
ふたりでガッツリ、いいと思うんだけれど。
いのうえひでのりさん、どう?どうどうどう?←かなりマジな願い♪






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最終更新日  May 27, 2009 11:26:19 AM
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