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テーマ:心の病(7318)
カテゴリ:過去
現在午前4時すぎ。
昨日は彼が広島からやってきてくれて深夜カラオケで歌いまくり、溜まったものをだいぶ吐き出しました。 でもお家に帰って人がいるというのはなんという安心感なんでしょうか。 すごくホッとしてしまって、また彼の前で泣いてしまいました。 彼は理由も聞かずによしよしとなだめてくれました。 それがすごく嬉しくて嬉しくてまた泣きました。 最近は涙腺がとても弱っているようです。 やっと彼が眠ってくれました。 広島から車で福岡まで、疲れただろうと思います。 すこし過去をまたはき出そうと思います。 私には記憶が定かでない時期があります。 事実は覚えているのですが、痛みとか感情とかを覚えていないのです。 きっと脳が消し去ったのでしょうね。 私はACの自覚があります。 子供のころ、両親や家庭を守るのは私の使命だと考えておりました。ですから決して何があろうともある年齢に達した私は泣かなかったし、いくら殴られても蹴られても屈服することはありませんでした。ただ両親を守るということだけが私の支えだったような気がします。 しかし、結局長男が跡を継ぐのは世の常なんでしょうね。 兄はそんな時代があってもレールの上を歩き、父の実質的な研究の跡取りになりました。 私は勉強が得意というわけではありませんでしたが、兄への対抗心だけで勉強していたような気がします。 いろんな記憶がありますが、懐中電灯ひとつで外で勉強していたこともありますし、教科書なしでなんとかしたこともたくさんあります。そして受験を勝ち取り県では一番といわれる道を歩いてきました。兄は別の大学院に行っていたのですが、博士課程を修了しても就職先がなく、なんとうちの大学の院にすっとコネで入ってしまったのです。 その時期、もう兄は暴力をふるったりはしておらず、私の中で自分の人生は自分の人生だという気持ちもだいぶ確立されておりましたが、そのコネ入学の話を聞いたときは、なんというか自分の築き上げてきた積み木ががらがらと音をたてて壊れる音を聞いたのをはっきりと覚えています。 ああ、そうなんだ。 とはっきり分かりました。 私は特に何がしたいわけで学校に行ったわけでなく、ただ兄への対抗心だけで自分を保っていたのです。 それが壊れたとき、私は一度崩壊しました。 そして就職を自分で決め、実家を出ました。 なんか長くなってきたのでまた続きは書けたらかきます。。 続き。 だいぶ精神状態は安定してきました。 よかった・・・。 明日から仕事です。 ここのところ昼夜逆転していたので、朝が辛いだろうなあ。 でもまあ明日は大きな仕事はたぶんないと思うので、なんとか乗り切ろうと思います。別館 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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