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銀河はるかに

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2007.03.24
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カテゴリ:人類
昨日書いた日記だが、何度も手を入れて、大分長くなってきて、結論文が書き加えられたりした為、アップし直すことにしました。

尚、ヒトの性差の表現にオス・メスという表現をしたが、あえてヒトを動物として捉えることを狙った表現であり、決して人間の性について蔑視する物ではないことを御理解ください。



チータや、キリン、インパラ、イルカ、などの哺乳類の動物たちの生存の方法への収斂具合を見ていると、やはり、自分たちの住む環境と生存する為の生き残りの戦略について、非常にそれぞれ進化適合してきたことが窺われ、とりわけ、生きる事すなわち食べる能力について進化し、また肉食動物などに容易に食べられないような対抗手段についても進化してきたことがわかると思うが、それは現実に自分が生き残る事で生殖のチャンスを得られたというパッシブな事実によって、収斂した、適者生存という進化の特徴であるように思う・・・・。
我々人間の目には、環境に鋭く適応し研ぎ澄まされた彼らの肉体は美しい物に写るが、我々人間の自然界における動物としての位置を考えると、やはり我々は小動物であり、肉体の造形美に対する感覚は、無駄の無い研ぎ澄まされた運動能力の証といえるような肉体が本来、憧れの対象として見え、優れているもの、美しいもの、という意識を持つのだろう。

それに対し、象やセイウチ等の大型の哺乳類は、メスが大きいオスを好むか、オスが大きいことでメスの獲得に成功するという特徴があり、生きるか死ぬかという次元の次の次元で、子孫を残せる行為として生殖を行い得る条件についての競争が存在し、そのために、オスは大きくなれる方が子孫を残しやすくなる為、子孫は大きくなる方向への遺伝的志向性を得ているといえるだろう。

つまり、象やセイウチでは現状の肉体的サイズは、未だ大きくなり続ける進化の途中と言えるだろうし、大きいことによるパワーは、他のオスに対し、肉体を使って戦う力という部分で圧倒し、大きくなれる可能性を持つ事が、特に重要な遺伝的性質であり、それが生存する能力と繁殖することについて今なお有利であることを物語っているだろう。
特にセイウチ等を見ていると、およそ肉の塊か脂肪太りの極致に見えるし、我々の美的理想からはかけ離れているが、彼らにとっては大きいことは美しいことであるかもしれないのです・・・・。

ヒトを除く哺乳類の研究では、フウチョウや孔雀など多くの鳥類で見られる姿かたちの「美しさ」を理由に繁殖の機会が増大する事と同様な報告を私は知らないのですが、我々と似た類人猿であるチンパンジーやゴリラの間でも、彼らの種族の中では、「美醜」が繁殖の機会の量をある程度左右する事が有るかも知れず、人類の遠縁としての彼らが、より古いサルの特徴を多く持つものを嫌うといったことが証明されるならば、私の仮説は定説になり得るかもしれないのだ。

主題である「美しさのルーツ」をさておけば、人間という種族は明らかにメスの容姿の美醜によって生殖の機会が増減することは研究の結果を待つまでも無いことであるから、本来メスの美しさは子孫繁栄の重要なファクターとなっていることは疑いようの無い事実と言って差し支えないだろう。
思えば・・・女が化粧し、着飾り、香水などを振り掛けるという行為は、まさにこの部分でメス側からのアプローチとして自分の子孫を残す機会を増やす為の行為、若しくはその名残に他ならないと言えて、実に愛らしく、微笑ましいものなのだ。

人間のメスの繁殖行動の特徴は、自分が美しいと沢山のオスの関心を呼ぶから、倫理観などを持ち出さないとするなら、基本的にはより優秀と思えるオスの遺伝子を選択的に、また数多く受け入れることが出来るので、優秀かもしれない子孫を多数この世に送り出せると言えるだろう。
また、現代社会の仕組みの中では多数では有り得なくとも、えりすぐりの優秀なオスの遺伝子を選ぶことが出来るということになり、それは雌雄の問題でなく、生物がより優れた子孫をこの世に残し、自分の遺伝子を持った子孫の生存をより確実にしたいと願うことであって、生物の遺伝子に仕組まれている基本的な機能の成せる当然の行動と言うことが出来るだろう。

さて本題に戻って顔の美醜は何が基準となっているか?についてだが、一説には乳児が授乳の時に、おぼろげな視覚で見上げる母の顔がそのルーツではないかという物があるが、まあ、一般的な女の顔の美の観念がそのときに育まれるかといえば、懐疑的にならざるを得ない・・・・。マスクをして眼鏡をかけた保母さんや看護婦さんに育てられると、女という美的観念がどうなるかの研究を待ちたいと思う。

また、生物にほぼ共通してあるかもしれない母性本能が、小さな幼体を慈しむ事が知られていて、子供っぽい顔が可愛く感じられるように、遺伝子によって仕組まれているという説もあろう・・・。

体に比して頭が大きく、顔の上下がやや扁平で相対的には目が大きく、目や口などの各部品が未発達な小さめの頭骨に取り付いているために相対的には顔が小さいのと同じ効果があり、そういう、子供に多く見られる顔の特徴は大人にとっては可愛らしく見えるというものだが、そういう顔に近い顔つきが可愛らしいとする考え方だが如何なものだろう。

尤もらしい感じもやや受けるのだが、犬猫を見すぎかもしれない・・・・人間のしかもモンゴロイドの生まれたばかりの赤子を見ればそんな顔には程遠く、少し育ったとしても、コーカソイドの幼児の特徴なら或いはそんな感じもややするが、一般論にはやや遠いと感じてしまうし、繁殖期の大人にはどうもピッタリと嵌る感じはしてこないのだがいかがだろうか。

むしろ問題を解くカギは、フウチョウやクジャクのような鳥類が、己の羽の美しさをアピールしてメスに求愛をするというところを、生物の進化の仕組みの一部として整合性のある説明が出来れば、その核心に迫れるような気がするのだ・・・・・。

此処からは推論になるが・・・・、フウチョウやクジャクの羽の美しさは、栄養状態の良さや、争いで傷付いていないことを示す上で意味があることなのかもしれないのです。
つややかで色彩豊かなことは充分な食料を得られる能力の保証を相手に見せる事かもしれないし、戦いに敗れること無い強さの結果としての美しい羽を誇示するのかもしれませんから彼らにとっては太って大きいセイウチと同じ生存への逞しさをそこに見出している可能性も有って、一概に彼ら鳥類が「美しさ」という概念を持っていて、それゆえの視覚的快感によらない可能性もあるわけです。

今、視覚的快感と書きましたが、そこが一つ引っかかります。

強さや逞しい証拠を見る時は、麻薬的無条件な快感とは言えなくとも、脳内麻薬を分泌させる間接的効果があればよく、生物としてより良い生存とさらなる進化と繁栄を予感出来るような印象をもたらす形などはやがて条件反射として、ドーパミンやエンドルフィンの分泌を誘発させるようになって来るとは考えられないだろうか?つまり、鳥類にとって美しさという概念が出来上がっていないとしても、光り輝く宝石のようなブルーやグリーンの翼を見ているだけで脳内麻薬が間接的にでも出るのであれば、当然快感と感じているかも知れず、ヒトであれば美しいヒトの顔や体を眺めているだけでも幸せな気分になってくるということである。

そうした反応を、もし鳥類がしているなら、それは経験的な学習の結果を元に「美」という抽象的観念が脳の機能によってもたらされていると言い得るのではないかと考えるのだが、あの小さい脳容積を考えると抽象的観念を持っているかどうかは疑問に思えるが、カラスの賢さを考えると或いはそうした観念を持つに至っている可能性も捨てられない・・・いかがだろうか?

米国の精子バンクの需要実績で、長身で金髪碧眼の高IQの白人男性の精子に人気が偏るということの理由を考えると、高IQを条件にするのは至極当然としても、やはり金髪碧眼、長身に人気があるということは、その姿形が精子バンクを利用する女性にとって魅力的に見えているという証拠であり、それは彼女たちの潜在意識の中で、そうした白人の特長が、濃い色の体毛に覆われた黒褐色の皮膚を持つ類人猿との対極にあることを見逃さず、人類の進化の道筋の到達点としての姿と感じているということが有りはしないだろうか?

ヒトは視覚的な情報に最も影響される生物のようだから、視覚的に進化の方向にあると思えるような形態的特徴を持つ顔が最も自分の子孫を作る相手として望ましく感じるということがあって、実際に最も進化した遺伝的形態とはいえなくとも、視覚的に類人猿からより遠く見える姿形が好ましく見えてしまうということかもしれない・・・・・・・・。

現代人である私たちは、視覚的に進化してゆく方向を直接知ることは不可能なはずだが、進化していない古い姿というのは本能的に認識できるのかも知れないし、現代人ならば考古学者の研究の成果を学習することが出来ることから、古い人類やそれ以前の猿人の姿や顔を視覚的に学習していて、古く進化していない状態と現在の自分たちの姿を知って、発達した大脳の処理力によって進化すべき方向をイメージ出来るようにまで進化していると言えそうだし、その能力によって人間は顔の美しさの理想形を潜在意識の中でイメージに描けるようになり、それが現代人のヒトの顔の美しさの漠然とした基準になっているのではないだろうか?

少女コミックスなどに登場する人物の顔を一度見てみて欲しいのだが、異様に大きな目を持つ主人公たちがキラキラとした目で登場していると思うが、しばらく見ていれば巨大なその目を持つ登場人物もさして違和感無く見られるようになる事もわかるだろう。

何故、ことさら巨大な目を持つ主人公が好感を持って受け入れられ、逆にリアルな大きさの目や、誇張した小さな目を持つ人物で描くコミックスは、シリアスであり、またやや暗くネガティブなストーリーに多く用いられるのかの意味を考えてみて欲しいのだ。

それこそ、私たち現代人が、その発達した大脳の働きで、ヒトの顔の美しさと言うか、好ましさについて志向する姿が集約されていると言えないだろうか?

我々現代人は、多くのヒトの顔という情報を、脳内で平均化し、その抽象的平均値に対してどちらか側に外れる事が進化であり、その逆が後退と捉える能力があるということではないだろうか?その、平均から外れる量が過大でなく適当である時に、外れる方向が好ましいという方向がより新しい形であり、好まれない方向が類人猿に近い特徴への後退と考えた訳なのです。

ヒトは、「美」という抽象的概念を、その発達した脳の機能により持つに至った生物なのであり、基本的には「より洗練された姿ほど美しい」と感じるような仕組みを持つことで、自己のよりよい生存と子孫の繁栄を図ろうとする仕組みが有ると言えるだろう。

美しい姿や顔形を持つことは、生殖のチャンスが大きくなり、より多くの優れた子孫を残せる可能性が高いので、男も女も、基本的には美しい外観を備えた伴侶を得たうえで、その子孫を得たいと願う生物である。と言えるのではないだろうか。





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最終更新日  2008.02.14 16:30:55
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