“ 人生の選択権を持つシアワセについて――体育の日のお祭り騒ぎ ”
新宿の喧騒の中、一応楚々と歩く努力。帯を守る為ドア脇隅に背中を向ける電車に揺られ、窓の景色は流れ流れて、どんぶらこっこ―――そこに・・・シャッターの音「?」顔を上げると視界に入った斜め向いの席、カメラ…ひょいっと片手を上げる、典型的欧米人旅行者あー外人さん写真撮ったわけね。如何にも好きそうな“エキゾチックな日本旅行写真”だろうしな仕方あるまい。えへらっと笑ってひょこっとお辞儀をしたら、妙な身ぶり手ぶり・・・くるくる・・かいてんしろと???そで?うでを?ひろげろ? ・・・注文が多い旅行者だね何より、こういう時の周囲の日本人の視線がやだぜ。勘違いナンザしてませんよ。ええワンダフルな着物が撮りたいだけなんだからさアナウンスに指をさして、ゆったりと、馬鹿丁寧にお辞儀して、すたこら逃げる非常識なヤンキー頭の着物姿なぞ撮られても、日本の恥であるん?じゃ、着て居るのすら既にカナリ問題ってことか・・・??悩む所だが「今更になって微妙な気持ちになって居る御二方」をかわす為には、安い投資だ貸衣装が着物だろうがドレスだろうが、料金は差して変わらんのだし。高々2,3万の遊興費。2回も飲みに繰り出せば飛ぶ値段だしかし大人になると本当に惨めなものだ。大人はお金を簡単に得られる。「100円」の価値が変わるそれにそう、この歳でも未婚なのだし、トウが立っても振り袖着る権利はなくもないのだ。・・・よな?だが若かりし二十歳の時分似合いすぎると言われた「赤&黒、刺激色系」で無く、「若々しい水色」が今更の様に「似合う」のは何でであろうか? この歳で漸く、印象がまるくなったのか。イイ人になった? 陰険度が減った? ワタシも丸くなったのか・・・自画自賛したくもなる「優しい顔になったわね~」と叔母に世辞を言われたから、ミジンコ程度は大人になってるのだろう馬子にも衣装…(豚に真珠、いや違った・・・ん?、あってるのか??)でも嬉しいものだ似合わんと言われるよりは。警備バイトで連日真夏路上で働き詰め、鮮やかに日に焼けたワタシを見て、「・・・・・・・・・まぁ・・・見事に焼けて」溜めに溜め、開口一番の母なのであった気持ちは解るけどな店の人が太鼓判を押したスカイブル―の振袖にヤンキー頭は「補色関係で、美的によく映える」のだが2Xのイイ大人としては、全くもってイタダケナイ。年配者にすれば実(マコト)に非常識おじ様方からは如何にも御大層なお世辞を賜わったのだけれど、親類からは兎も角、母からの苦言が一言も無かったのは、実に、実に、驚きであったまぁ、呆れ果てていたのかもしれないわね祝いの席でもあるし・・・その辺り無理矢理でも、割り引いてくれたのであろうでも職場制服にはこのヘアスタイルが似合うんだもん。皆ヤンキー風体だから、保護色(?)になっとるしショートにして現場が変わってから、ワタシってば矢鱈モテモテだ・・・主にチビ共に(笑汗)子供って本当に面白い。イソガシそうな大人達が皆一様に、子供に嵌まらないのが凄い不思議だ自分の子供に執着はないが、生態としての子供には非常に興味を覚える大人を案外よく観て居る所。言葉の選び方、独特のしぐさ中には死んだような、既に大人の“熟みだらけた表情”をする子供も居るのであるが。これには冷血無関心なワタシでさえ、戦慄を覚える人生の選択が既にその歳で終わってしまって居る―――“答え”だけを大人に吹き込まれ、“学び”過ぎた子供新たな目線が得られる、職場環境は良いものだ「障害と障碍の違いについて」・・・点字の学生ボランティア時代の無関心、無知ぶりを痛感する現場は常に「辛辣な程に現実派であるべき」って事かしら。バラ色で、ウルオイある幸福は、萌芽の床には決してならぬと言う事なのかねいや、自身が「普通より一寸だけ」怠けられることだけは皆、期待し奨励し許すものなのだが・・・・人間って本当に、どこまでも皮肉な生き物だちぃと上滑りしているな。“こういう冷静さ”は女独特なのか。私が極めて排自的な関係をのみ維持するという・・・病的精神構造の証明とか?いや、それでも巷の“他者から奪い取りながら、「拾って得をしただけ」とノタマウ”計算高さとは別物であったとは思うのだが。。。。其れが「誰かにとってどうと云う事ではない」と云う事だけがあきらかであるワタシには其れがせめてもの救いだワタシがあの時何を感じ、何を考えて居たのか知らずにいても良いのだそのことは考えるまでもない獲る為の捨てる為の跡を濁さずに人生を終わらせるための、ひたすらの生ワタシはそう云う計算だけを、し続ければ良い誰かへの復讐なんだろうか―――幸せを崩す事を望んでのことではなくとも彼等からワタシを奪うという、復讐の形になっているからそんなことは何を措いても「正義」の言い訳にはならないだから、いつまでもこうしなくてはならないいつまでもいつまでもうんでもらったことへのかんしゃ(いけない、いけない)(悪魔の様に笑ってはいけない)そう、此処には平安と幸福しかない――それだけが許されている