パワースポット@神の島「Okinawa」

2022/11/12(土)21:25

ヨカッチュが士族帰農したヤードゥイ集落@北谷町「上勢頭井戸の合祀所/下勢頭集落の合祀所」

北谷町(8)

(上勢頭井戸の合祀所) 沖縄本島中部の「北谷(ちゃたん)町」北東側に「上勢頭(かみせど)集落」があります。この集落は沖縄戦以前は「上勢頭屋取集落」として繁栄していましたが、戦後は米軍嘉手納基地に集落の3分の2の土地を接収され、住民は強制的に他集落に分散して暮らしています。今でも集落にルーツを持つ人々は団結して「上勢頭屋取集落」の文化財を大切に守り続けています。現在の「上勢頭集落」の北側で米軍嘉手納基地フェンスに隣接する場所に「上勢頭井戸の合祀所」があり、米軍嘉手納基地の敷地に分散する「上勢頭屋取集落」の井戸を遥拝する石碑が6基建立されており「カーウガン」で拝する住民が訪れる聖域となっています。 (かー小の石碑) (いなみぬかーの石碑) (いーま小ぬめーぬかーの石碑) 「上勢頭井戸の合祀所」に向かって左から「かー小」「いなみぬかー」「いーま小ぬめーぬかー」の石碑が建立されています。「上勢頭屋取(ウィーシードゥヤードゥイ)」は今から200年以上前に「首里・那覇・泊・久米」からヨカッチュ(良人)と呼ばれる士族が入植して発展した「屋取集落」で、後に生まれた「下勢頭屋取(シチャシードゥヤードゥイ)」と合わせて「勢頭七組」と称されました。「田仲組・稲嶺国・瑞慶覧組・与那覇組・喜友名組・勝連組・佐久川屋取」で構成された「勢頭七組」は、その後10組まで増えて「上勢頭/下勢頭」の行政としてそれぞれ区長が置かれるようになりました。集落は主に農業で栄え、芋やサトウキビの栽培には集落の井戸水が農業用水として活用されていました。 (いなみ小ぬかーの石碑) (みーがーの石碑) (ふえぬかーの石碑) 更に「上勢頭井戸の合祀所」の向かって右から「いなみ小ぬかー」「みーがー」「ふえぬかー」の石碑が建立されています。「みーがー」は共同の「ニーブガー」と呼ばれる浅い井戸で、飲料水として「喜友名組」と「勢理客組」が利用していました。「ふえぬかー」は「喜友名組」の区域にあり、周辺住民の生活用水として重要な井戸でした。「ふえぬかー」は「上勢頭屋取」の「ウブガー(産井戸)」の一つで、集落で子供が生まれた時に産水として使用されました。「上勢頭屋取」では農業の他にも副業として「カマンタ」や「バーキ」と呼ばれる竹細工の生産が盛んで「シードゥカマンタ」と称され、仲買人や行商人により那覇やヤンバル(山原)に出荷されるほど有名でした。 (下勢頭集落の合祀所) 「上勢頭集落」の東側の丘に「下勢頭集落の合祀所」があります。「下勢頭集落」は「上勢頭集落」の北側に位置し、土地の全てが米軍嘉手納基地の敷地内にあります。そのため「上勢頭集落」から眺める事ができる丘の上に遥拝所が設けられています。「下勢頭集落の合祀所」には「アシビナージー」「ユシミヌ神/四隅の神」「ハナグスクヌメーヌカー」「水ヌ神」が合祀されています。「アシビナージー」はかつて「下勢頭集落」と「上勢頭集落」の境界近くに「シードゥヌシー」と呼ばれる岩塔があり、その北側には「下勢頭集落」のアシビナー(遊び庭)がありました。旧暦12月24日のウガンブトゥチ(御顔解き)や2月2日のニングヮチャー(クスユックイ)などの祈願の際に拝されています。 (南無諸大明神の石碑) (年豊人楽とウコール) 「下勢頭集落」では旧暦12月24日にムラの有志らによるウガンブトゥチ(御願解き)の行事が行われた。「ユシミヌ神(四隅の神)」と呼ばれる東方の「持國天王」西方の「廣目天王」南方の「増長天王」北方の「多聞天王」へは、この行事に祈願を行なっていたと伝わり、この「四天王」は仏教における東西南北を守護する四人の神を意味します。「南無諸大明神の石碑」の土台には「年豊人楽」と刻まれておりウコール(香炉)が祀られています。これは「年豊かに人楽しむ」の意味で集落の五穀豊穣を祈願しています。現在「ユシミヌ神」は「アシビナージー」と併せて祀られています。 (御通し所/遥拝所の石碑) 「下勢頭集落の合祀所」には「御通し所(遥拝所)」と彫られた石碑が建立されています。現在、米軍嘉手納基地の敷地内にある「下勢頭屋取集落」にはかつて屋号「ハナグスクヌ(花城)」の屋敷前にカー(井戸)があり「ハナグスクヌメーヌカー」と呼ばれていました。更に屋号「山佐久川」の屋敷の東側には、村人が野良仕事からの帰り農具や野菜を洗う約100坪の大きな池(ウフグムイ)がありました。人々はこの池を「ミジヌ神(水の神)」として崇めていたと伝わります。現在は旧暦12月24日に「旧字下勢頭郷友会」の有志らにより「お通し所(遥拝所)」からお通し拝みが行われています。 (ウキンジュガー/受水ガー) (ウキンジュガーのウコール) (ウドゥンジーミチ/御殿地道) 「上勢頭屋取集落」の南側に「ウキンジュガー(受水ガー)」と呼ばれる井戸があります。「御殿地組」の新屋小の南側、現在の北谷町立北谷第二小学校の北側にある土手の下に「ウキンジュガー」はニーブガー(浅い井戸)で柄杓を使って水を汲んでいました。水量が豊富で旱魃の際にも水が枯れる事がなく、遠く離れた集落から水を汲む人々が訪れました。「ウキンジュガー」の北側には「ウドゥンジーミチ(御殿地道)」と呼ばれる「御殿地組」の土地を東西に通る道があります。西側に隣接する「桑江(クェー)集落」に近い方は「ナルカーミチ」とも呼ばれており、現在の県立北谷高校と北谷ゴルフ練習場の間を西海岸に向けて続いていました。 (トゥクガーシー) (上勢頭北公園) (拓/竣工記念碑) 米軍嘉手納基地の敷地内の「下勢頭屋取集落」南側に「トゥクガーシー」と呼ばれる岩山があります。元々は風葬に利用されていた丘陵でしたが、沖縄戦の際には「トゥクガーシー」の自然壕に旧日本軍の監視哨が置かれました。現在の「上勢頭集落」の北側に「上勢頭北公園」があり「拓」と刻まれた竣工記念碑が建立されています。第二次世界大戦の敗戦により接収されていた「上勢頭屋取集落」の土地は1970年に3分の1ほど返還されました。1973年には本土復帰に伴う記念国民体育祭「若夏国体」が開催され、国道58号線から沖縄市へ通じて「上勢頭集落」を横断する県道23号線(国体道路)が開通しました。この碑は「上勢頭」地域の発展を祈願して建立されています。

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