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ミクシィ日記をそのままコピペします。
初七日に続き何故か二七日って言うのがあるのも知り、それが三七日・四七日と毎週延々と続くのを学習した2010年初頭でございまっす。 毎週はさすがに難しいので、自分は二七日でひと段落。 次回は四十九日。 って、イヴェント告知のようだ。 ま、イヴェント好きな人だったから良かろうて。 落ち着いてきたので思い返してみると、短期間なのにホントに色んな事がありました。 話には聞いていたけど人間の醜い部分を目の当たりにし、姉や弟と一緒に『2時間ドラマみてー』と呆けてアリーナ観戦していたり。 身内より血の繋がりの無い他人様の方が色々と手厚かったり。 以前もここで記した事があるけど、ウチの親父は職業画家でありました。 それと同時に船乗りをしていた事もあるという、異色の経歴。 捕鯨船に乗っていた時もある故、捕鯨禁止に強く反発する活動もしていて、更に性格が好戦的であったため(笑)、味方も多いが敵も多かった。 快く思っていなかった人も多かったでありましょう。 シーシェパードに目を付けられなくて良かった(笑) 子供の頃の夕餉の話題は 『何故西洋人は鯨に対して敏感に反応するのか』 『人種差別の根本は何処にあるのか』 『海に囲まれた国なのに船業を志す若者が少ないのは何故か』 などなど。 これじゃごはんも進みませんわ。 あ、ちょっと自慢。 7月20日の海の日。 これの制定に深く関わった人物でもあるのですよー。 今じゃ、夏休みちょっと早くなってラッキー♪くらいな祝日になっちゃいましたけど。 数少ないオヤジ自慢終わり。 通夜の前日、ワタシの古い友が「これを読んでやってくれ」と、1篇の詩を泣きながら渡してくれました。 作者はユダヤ系ドイツ人の詩人、サムエル・ウルマン。 一体何処で探してきたんだろうと思えるくらいに親父にリンクする内容で、本人は「たまたま目にして引っ掛かってて、訃報を聞いた時すぐに頭に浮かんだ」と言っていた。 それは父であればこう言うであろうと思われる内容であり、弔問に訪れた方々へ向けての言葉にもなるであろうと解釈して、告別式の最後に読ませて貰いました。 この詩の内容に則って、大好きだったアルゼンチンタンゴもガンガンかけてやれたし。 弔問客から、とても良い式だったと言って貰えました。 業者さんに助けて貰ったとはいえ、親戚や町内会のおばさま方の手を借りず全部自分達で仕切ったため反発されたりもしたけれど、最後にこう言う言葉が貰えたのであれば、父に対して胸を張れる行為であったと思いたい。 友達にただただ感謝。 『お経の最中にもタンゴかけちゃって良いよ~』と軽ーいノリで言ってくれた御坊にも感謝(笑) 色々な人に感謝した期間だったな。 自分もこれから、人に感謝される生き方をしていかなきゃなりませんな。 以下、その詩です。 私が船出するとき 嘆きの涙は欲しくない 永遠の国へ私を急がせる 嗚咽も溜息も欲しくない 私の行く道を悲しくする 喪章や打ち沈んだ衣服を身につけないで欲しい そのかわりに白く輝かしく よそおって 古い慣わしを忘れて欲しい 私が去り行くとき 挽歌は歌って欲しくない 美わしい良き日のために 愛の手で高き調べをかなでて欲しい 私のために このような言葉は言って欲しくない 彼の生命の灯は消え 去っていったと ただ こう言って欲しい 彼は今日 旅に出て 旅を続けていると 別れの涙があふれたら そっと その日をそのままにしておいて欲しい 私を惜しむことなく 共に過ごした日々を喜んで欲しい そして こう言って欲しい 『満ち潮だ。よい船旅を』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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