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フラワーエッセンスのイベントであるプロデューサーさん
が話していた「多様性」という言葉に感銘を受けたので、 今まで感動した映画や本の中からあらためて「多様性」に ついて考えてみました。 まずは映画「アレキサンダー」よりアレキサンダー大王です。 彼の両親は父マケドニア王フィリッポス2世、母エペイロス モロッソイの王女とそもそも両親の国が違っています。同じ 密儀に入信してそこで恋に落ちたという伝説もありますが、 おそらくは政略結婚、そして父と母の相性は最初はともかく アレキサンダーの少年時代にはすでに最悪、映画に出てくる ような激しい言い争いがあったと思います(笑) 国も考え方も全く違う両親から生まれたアレキサンダー、 20歳で父フィリッポスが暗殺されて王に即位し、その後は 世界史で有名な東方遠征に出て2度と故郷には戻ってきませ んが、息子命の母オリュンピアスはしっかり手紙で干渉して きます。ある時などはアレキサンダーと仲のよい親友ヘファ イスティオンに嫉妬して迫白めいた手紙を送るほどでした。 でもアレキサンダーは母の意に反して親友との仲は生涯変わ らず、そして遠征先で族長の娘ロクサネと結婚してしまいま す。その後ペルシャの王女とも結婚し、その時は自分の親友 や部下もそれぞれペルシャ王族や貴族の娘と結びつけて集団 結婚式を行います。ペルシャ人も積極的に幹部にし、また征服 した国もそれぞれの王をそのまま総督にする(そうでないとこ ろもあったけど)異民族、異文化との交流、共存ということを 考えればかなり進歩的な考えを持っていました。 そのアレキサンダーとは対照的な生き方をしているのが後に マケドニア王となるカッサンドロス、彼は東方遠征には参加 していなく、用事でバビロニアを訪れた時にアレキサンダーの 前で皆がペルシャ式に大げさな挨拶をするのを見て笑いだし (マケドニアでは王子と貴族の子弟は友達のような親しさだっ た)アレキサンダーが激怒してカッサンドロスに暴力をふるい 以後それが彼のトラウマになったというエピソードがあります。 カッサンドロスはひたすらマケドニア国内をまとめることに 勢力を使い後に王になっています。 アレキサンダーが治めた広大な帝国は大王の死後あっという間 に分裂してしまいました。その中で一番長く続いて繁栄を誇った のはプトレマイオス朝のエジプトです。プトレマイオス朝は血縁 関係だけで王位を伝えましたが、宗教文化に関しては積極的に エジプトの伝統も取り入れ、ギリシャの神とうまくミックスさせ ました。クレオパトラの死後エジプトは独立国ではなくなります がアレキサンドリアは文化の中心地として栄え、ルネサンスに 大きな影響を与えた新プラトン主義、ヘルメス主義などの思想は 紀元後にこの場所で生まれています。(ルネサンス期の人はヘル メス選集はモーゼと同じくらい古い時代のものと信じていたけど) 私がアレキサンダーに魅かれて何度も映画を見に行き、ついには その生まれ故郷まで訪ねたのは、彼が異なる文化宗教を受け入れ それを融合させようという理想を抱いていた(必ずしもうまくい ったわけでなく、東方遠征では多くの人間を殺し味方の犠牲も出 しているが)からかもしれません。
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Last updated
2014年05月09日 09時50分00秒
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