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My Friends Forever!- あっ!トロント → LIFE

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2006 9/17-9/21韓国一人旅

2006/09/17 「ソウル到着」
夜8時羽田発、10時20分金浦空港着の大韓航空に乗りました。
実は不覚にも2日前から風邪をひいていたのでサービスのビールを飲むのも我慢して到着を待ちました。
初めての韓国旅行(=地理もわからないし、言葉も話せない聞けない読めない)なので夜に着くので非常に緊張していました。
ソウルの地下鉄は東京のと似ている印象を受けました。ちゃんと英語の表示やアナウンスもあり安心して宿まで行くことが出来ました。
今夜からお世話になる宿は日本人のバックパッカーに非常に有名な安宿です、なんと1日1500円でした(一人部屋は2000円)
このような安宿が今回はじめてだったら泊まるのを拒んだかもしれません(4人部屋、トイレもシャワーも1つを共同。トイレに関しては紙を流すとすぐにつまるので横に備え付けているバケツに使い終わった紙を捨てるように書いていました)

でもカナダで一人旅をして毎回ユースホステルに世話になっていたのでこのような宿の状態にも特に驚きませんでした。
今日は夜の街に出ることもなく風邪を完治させるためにすぐに寝ました。

06.9.17安宿
今日から4日間ここでお世話になります。


2006/09/18 「景福宮→仁寺洞→鐘路」
朝起きてまずは「地球の歩き方」と今日の予定決めです。地図を見て驚いたのは宿泊している宿から主要の観光地は歩き、地下鉄で大体行けることです。少し大きな通りに出ると豊臣秀吉軍を海戦で敗った李成桂(イソンケ)の像がたっています。

この通りを北に向かって行くとソウルツアーでは必ず訪れるお馴染みの場所である景福宮(キョンボックン)があります。
景福宮は1394年に建てられた韓国最大の古宮。朝鮮王朝を建国した李成桂によって建てられた韓国で最初の正宮である。12万6千坪という広大な敷地に、殿閣が200余棟もあったのが、1592年豊臣秀吉の壬申の乱(文禄の役)で焼失した。その後、長い間放置されていたが、1865年に再建された。そして、日韓併合時に、日本軍によって壊されてしまったが、現在は復元工事が行われ当時の姿に戻りつつある。「K-PLAZA.COM参照」

始めて見た韓国のお寺は赤、黄色、緑、青を使い鮮やかで約270年に渡って続いた李氏朝鮮王朝の歴史が想像することが出来ました。ツアー客が沢山いました。
日本のツアーガイドさんもいたので所々でまぎれて案内を聞くことも出来ました(笑)


韓国の"Mary's Alley"と呼ばれている仁寺洞(インサドン)に徒歩でむかいました。ここは李氏朝鮮が漢陽(現在のソウル)を首都とした時代から発達してきた街だそうです。
メインストリートにはギャラリー、伝統系のお土産屋さんやレストラン、お茶屋さんなど、韓国の芸術や伝統を感じることのできるお店が100余と並んでいてミニ博物館を思わせるような通りでした。あいにくの雨模様で、雨が降るとテントのお店はすぐに店しまいをしていたので、また晴れの日に行こうと思い散策だけしました。

昼食はカルビタンを食べました。カルビタンは、牛カルビ肉と牛カルビの骨でとる香ばしい濃厚なスープです。唐辛子などは使われていない刺激の少ないこのスープは老若男女を問わず誰にでも好まれる味とのことです。

夜はカナダ留学の時に友達だった韓国人の子と鐘路(チョンノ) で夕食をとりました。友達といってもパーティーで4度ほどしか会った事はなかったのですが仕事後わざわざ時間を割いてくれました。
僕が好物のダッカルビ(韓国風とり焼肉)の人気店に連れて行ってもらいました。ダッカルビはソウルの若者たちの間で、人気があり鶏肉と野菜を韓国ならではのコチジャンソースで豪快に炒める鶏肉料理です。
なんと言っても「辛かった」です。これでも友達が気を使ってくれて予め辛さの段階を下げてくれてたそうです。
僕は日本語と英語、友達は韓国語と英語、もう一人の子は韓国語と日本語を喋れるので妙な会話で面白かったです。共に互いの文化に興味を持っているので楽しい時間を過ごすことが出来ました。

06.9.18李成桂(イソンケ)像
李成桂像;朝鮮では、1392年に李成桂が国を建ててから1910年の日韓併合まで 500年もの長い間、李王朝が続いた。李氏朝鮮は儒教を基盤にすえたので、現在まで南北朝鮮の生活では儒教の影響が根強く残った。

06.9.18景福宮(キョンボックン)光化門(クァンファムン)
光化門;李成桂による漢陽遷都の際に、景福宮の正門として建設された。その後豊臣秀吉の朝鮮出兵の騒乱で焼失した。朴正煕大統領の時の1972年に鉄筋コンクリートで再建され、今にいたる。

06.9.18景福宮(キョンボックン)興礼門(フンネムン)
興礼門;興礼門は王宮の2つ目の門である。光化門と違い木造2階建てである。この門も3つの入り口からなります。中央は王と王妃のための入り口であるが、王や王妃が自分の足で歩いて通ったわけではなかった。蓮台のような輿にのって通った。足を汚してはならないからだったそうです。


2006/09/19 「東大門市場→明洞→南大門市場→ソウル駅」
風邪は完治しました。今日は朝早くから起きて清渓川(チョンゲチョン)に沿って目的地まで行くことにしました。清渓川は、韓国ソウル中心部を流れる川です。

まずは40分かけて東大門市場(トンデムンシジャン)に行きました。清渓川はとても綺麗に整備されていて天気も快晴で気持ちよく歩くことが出来ました。

東大門付近に着くとバイクの荷台にこれでもかというほどの荷物を積んでいる人達が沢山いて驚きました。どうやらここは韓国各地から買い付けにくるバイヤーが集まるとのことです。深夜になるとさらに混雑するとのことなので驚くばかりです。
店売りの人が外で普通に出前をとって食事しながら店番しているのには圧倒されました。

次は戻る形で若者にも支持されている古くからの繁華街の明洞(ミョンドン)を目指しました。案内本では日本の銀座と例えられていますが僕的には原宿のような気がします。でもそれは東大門市場で年配の人ばかりを見て、急に若者が集まっている場に出たからかもしれません(笑)
韓国流行の発祥地と言える。大規模なデパートが密集しているだけでなく、国内、海外の一流ブランドのブティック、ファッションに関わるあらゆる店が集まっています。およそ東西700m、南北800mのさほど広くない地域には、絶えず活気と熱気があふれ、1日100万人以上の人々でにぎわいます。
今回の旅ではまったくブランド品なのどの買い物には興味がないのと、あまり人ごみが好きではないので街の様子を見て足早に後にしました。

昼食は冷麺を食べました。さすが本場、麺のこしがすごくありました。スープにはフルーツの甘みが出ていて美味しかったです。
(実は昨日食べたタッカルビがお腹にきてしまい辛い料理は少し休憩なのです)

次は韓国最大の総合市場、南大門市場(ナムデムンシジャン)に。朝鮮時代の城門である崇礼門(南大門)から徒歩5分の所に位置しています。先ほど行った明洞からも徒歩ですぐに行けます。ここは卸売り業の中心として、600年という歴史を持つというだけあってすごい活気でした。衣類やアクセサリー、食料品、食器、革製品、メガネ、おもちゃ、花、高麗人参、韓国の伝統商品など何でもある大型商店街で広い敷地に1,700種余り、11,000軒余りの店がひしめきあっているとのことです。ここでも買い物はしませんでした。

実は昨日友達に「買い物するならソウル駅近くのロッテマートが安いよ」と教えられていたので、買いたかった韓国ノリ、キムチ、お酒などは買わずに我慢していたのです。
南大門市場から南大門を通ってソウル駅を目指しました。

ソウル駅のデザインはルネサンス・バロック・スタイルでレンガ貼りの外壁は東京駅を彷彿とさせました。
ロッテマートはカナダのマーケットのような雰囲気でした。客もみんなまとめ買いをしていました。友達が教えてくれたとおり韓国ノリ、コチュジャン、韓国焼酎などもとても安く売っていました。韓国に来て始めて食事以外の買い物をしました。帰りは荷物が沢山だったので地下鉄を利用しました。
韓国の地下鉄、タクシー、バスなどの公共機関は非常に安いので気軽に使うことが出来て便利です。改めて日本の電車代の高さなどについて考えさせられました。
今日はよく歩きました。

06.9.19清渓川(チョンゲチョン)
清渓川;1950年代から1960年代の韓国の経済成長・都市開発に伴って、水質汚濁にまで発展しました。清渓川が暗渠となり清渓高架道路が建築され、その後2000年代に入り市民の署名などによって、2003年7月から2005年9月にかけて復元工事が行われ、高架道路の撤去、河川の清掃など行った結果、今は市民の憩いの場となっています。

06.9.19東大門(トンデムン)
東大門;東大門市場の北の方に位置する東大門は、ポムル(日本でいう国宝と重要文化財の中間に値する)第1号。朝鮮時代に城郭の東側を守っていた門であり、正式な名前は興仁之門(フンインジムン)といいます。過去には城内の安全を担った東大門ですが、今や不夜城をなしている東大門市場の象徴です。


06.9.19南大門(ナムデムン)
南大門;南大門市場から徒歩5分の所に位置する、朝鮮時代の城門である南大門(崇礼門)。朝鮮王朝最古の木造建築である都の城門です。

06.9.19ソウル駅
ソウル駅;1899年に市の西に敷設された京仁線の京城駅を前身としています。この駅舎は、韓国に残るいわゆる「日本帝国の遺産」の一つですが、幸いに取り壊されることなく、隣接する新駅舎が開業した2003年後も文化施設として活用されています。


2006/09/20 「昌徳宮→西大門独立公園→梨泰院→雲宮→仁寺洞」
今日も快晴です。25分歩いて昌徳宮(チャンドックン)に到着しました。見学は必ずガイドツアーに参加しないといけないということなので日本語を流暢に話す韓国人ガイドの1時間半ツアーに参加しました。ものすごい日本人がいて驚きました。

昌徳宮(チャンドックン)とはソウルにある5つの古宮の中の1つで、1997年にはユネスコ世界文化遺産にも登録された17世紀始めの面影を残している建造物です。
全部で約135,000平方mの敷地には13棟の宮殿の建物があり、その北半分を占める秘苑には28棟の楼閣があるそうです。
敷地内では一年中たくさんの植物を見れること(あと少しで紅葉になりそうな雰囲気でした)、建物の維持管理が行き届いていることが観光客に喜ばれているみたいです。特に豊かな自然をそのまま生かして造った美しい宮殿の庭園、秘苑の姿はとても見答えがありました。

次は地下鉄で西大門独立公園(ソデムントンニプコンウォン)に行きました。ここには刑務所歴史館があります。リアルな人形で当時の拷問の様子などが再現されていました。僕の後ろには韓国人の学生がいてここにいることに肩身が狭くなりました。余りにも酷い現実に鳥肌が止まりませんでした。

「死刑場の入口に立つ一本のポプラの木は、死刑囚たちが死刑場に入る前にしばらく掴んで痛哭したと言われ、このポプラの木があまり育たないのは、死刑囚たちの深い恨(ハン)が木の奥深くまで染み込んでいるためだという悲しい逸話が語り伝えられている。」

日本兵がやった事実には謝罪の念と二度とこのようなことが起こらないように肝に命じる必要があると思います。日本人として避けてはとおれない歴史館だと思います。

*韓国人の子供たちは授業の一環でとしてここを訪れるそうです。確かに被害を受けた側として知るのは大切ですが、この博物館での事実を鵜呑みにすると、間違いなく反日感情がうえつけられると思います。説明文などを見てそのように思いました。韓国の先生達が子供たちにどのように教えているのかが気になりました。


(刑務所博物館で余りにも辛い事実を目の当たりにしたので)足どり重く次の目的地、梨泰院(イテウォン)に行きました。南山の南麓に広がる商店街で、米軍基地に隣接しているため横文字の看板が多くアメリカ人を始め外国人の姿が目立つ雰囲気の街でした。
ここではお店のおばさんの(強引な)呼び込みにつかまってしまい買うはずもないお土産を買ってしまいました。値切りはしたのですが、後から気づいたことなのですが仁寺洞では同じ商品が半分の値段で売っていました。つまりこの旅始めてのボッタクリにあいました。

最後は雲宮(ウンヒョングン)に行きました。この宮殿はソウルの有名無名な宮殿の中でも最もよい状態で保存されているそうですが、その理由は近年まで王族の子孫がここに住んでいてソウル市が買い取って修理を行い一般公開しているからそうです。
今まで見たような赤、黄色、青、緑などの装飾色はなく日本の寺のような質素な外観でした。

夜はカナダで会った友達といっしょに焼肉を食べに行きました。本場のカルビは美味しかったです。日本のようにタレをつけて食べるのではなくコチュジャン、ゴマ油のようなものをつけてレタスにくるんで食べました。
友達は今は英語の先生をしているらしく久しぶりに英語で会話を楽しみました。
明日はついに最終日です。


06.9.20西大門独立公園(ソデムントンニプコンウォン)刑務所歴史館入り口
西大門独立公園内、刑務所歴史館;韓国には36年にわたる日帝(日本による植民地支配)の様子や、その独立の歴史を次世代に残すために記念館や歴史館、公園などが存在している。ここはかつて、日本に対して抗日運動(独立運動)を行う韓国人を捕まえ監禁するための監獄であった場所だ。一度ここに入れられたら生きて出て来ることはできないと言われた所で、多くの韓国人が厳しく残酷な拷問と監獄生活の末に、あるいは処刑によって、ここで命を落とした。


06.9.20仁政殿(インジョンジョン)
昌徳宮内、仁政殿;韓国ソウル特別市に所在する李氏朝鮮時代の宮殿。17世紀始めの面影を残している。1997年「昌徳宮の建造物群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

06.9.20雲宮(ウンヒョングン)
雲宮;この宮殿はソウルの有名無名な宮殿の中でも最もよい状態で保存されているが、それは近年まで王族の子孫がここに住んでいたから。かつての韓国の貴族文化を感じられるベストな場所。他の有名な宮殿では、広間に入ることは許されないが、この宮殿の南半分なら一般に広く公開されている。

06.9.20愛蓮池(エリョンジ)
昌徳宮内、愛蓮池;愛蓮池そばの石門は不老門である。「不老」というのは王様が老いることなく無病長寿を願うという意味を含んでいる。

06.9.20昌徳宮内イブキ
昌徳宮内、イブキの木;樹齢が750年ほどと推測、高さ12m、周り5.9mで複数の方向に伸びている枝はねじられた形になっている。
750年歴史を見続けているその姿には威厳すら漂っていました。


2006/09/21 「慶熙宮→徳寿宮→三清洞」
今日は最終日です。早朝から色々まわる予定でしたが、疲れがでたのかいつもより目覚めが遅かったです。でも主要な観光地はすでにまわっていたので焦らず行動することが出来ました。
はじめに訪れたところは古宮群の中でも最も西方にある慶熙宮(キョンヒグン)。五大古宮の中で最も大きな受難を受けた古宮ともいえる場所です。
運良く観光客は少なくゆっくりと見物することが出来ました。幼稚園の子供たちが遠足で訪れていましたが、寺はそっちのけで(当たり前ですが!)鳩などを追いかけている無邪気な姿に癒されました。

次は30分ほど歩いて復元された李朝後期の離宮、徳寿宮(トクスグン)に来ました。今までみた建造物と違い欧風建築物がありました。韓国の寺と欧風の建物がうまく調和しているのが印象的でした。
ソウル市内5大王宮の中で一番にぎやかな王宮で、近くのオフィスに勤めるサラリーマンの休息所として、または学生の見学コースとして、それからカップルのデートコースとして、様々な人々に愛されている王宮だそうです。情報どおり沢山の人達が訪れていました。

旅の最後はソウルの中でも、のどかな三清洞(サムチョンドル)に行きました。ここに行った第一目的は「スジェビ(韓国風すいとん)」を食べに行くためです。目的の店は歴代大統領や国会議員が通ってくることで有名で韓国一のスジェビと言われているそうです。
どんな店だろうとわくわくしながら行きましたが、普通の庶民のお店でした。有名店になったからと言って特別着飾らない普通の様子がさらに愛着がわきました。すいとんはというと本当に美味しかったです。海産物のダシが良くでていて具沢山で大満足でした。ここにはまた食べに来たいと思うほどでした。


今回は本では「地球の歩き方」、インターネットでは「ソウルナビ」に非常にお世話になりました。「地球の歩き方」に乗っている観光地は博物館などを除いては大部分行くことが出来ました。ソウル出身の友達もまだ行った事がないところがあるらしく驚いていました。
反日の人がいると思い少し心配していましたが今回の旅ではそのような被害にはあいませんでした。でも日本大使館、アメリカ大使館の前ではいつもものすごい数の警察、機動隊が見回りをしていました。韓国に行く時は日韓の社会の情勢もみつつ様子をみて行くのがいいと思います。
旅中印象的だったのが署名運動をしている人達です。大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の統一を望むための署名でした。

3日間という短い中での旅立ったので急ぎ足で建造物をまわったのですが、今度行く時は韓国の歴史を調べつつゆっくりと見学したいと思います。
今までずっと行きたいと思っていた韓国に今回は行くことが出来て本当に良かったです。
美味しかったし、楽しかったし、安かったので大満足でした!

06.9.21慶熙宮(キョンヒグン)
慶熙宮;1620年に完工、昌徳宮と同様に、景福宮が再建されるまで280年あまりを正宮として役割を果たしていた。五大古宮の中で一番西側に位置しており、西の慶熙宮、東の昌徳宮と呼ばれてきた。日本により、強制撤去されたものの、復元された。

06.9.21徳寿宮(トクスグン)
徳寿宮;壬辰倭乱(豊臣秀吉の侵略)で焼失した景福宮の代わりに、成宗王の兄である月山大君の私邸であった場所を仮の王宮として使用したのが徳寿宮の始まり。その後、王宮は昌徳宮に移され、離宮として使われていたが、19世紀末になって再び王宮として用いられるようになった。
ここ徳寿宮は、日本侵略の歴史において、大きな舞台となった場所でもある。
日露戦争で勝利を収めた日本は、1905年11月、第2次日韓協約によって韓国の外交権を奪い、「保護国」として韓国総督府を設置し、伊藤博文が初代総監として着任した。その協約の調印が行われたのが、この徳寿宮である。

06.9.21民族衣装を着た子供達
民族衣装を着た韓国人の子供達が観光に訪れていました。

06.9.21ソウル市役所
ソウル市役所;2002年のワールドカップの時は数十万人のレッド・デビル(韓国国家代表サッカーチーム公式サポーター)が集まって応援した所。徳寿宮の前とは目と鼻の先です。


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