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カテゴリ:クラシック輸入盤
★ダイレクト・トランスファー CD-R 2021年6月新譜 3点発売★ 発売予定:2021年6月下旬発売予定 価格:各1枚 ¥800(税込み) ※セット販売ではありません。1枚づつお申し込みいただけます。 78CDR-3836 ブラームス 子守歌 作品49の4 (その2) 1928-1953年録音 今回はブラースの「子守歌」の後編として日本人アーティストを含めてた7枚 を取り上げた。録音年代は1928年から1953年である。すべて電気録音。ブラー ムスの子守歌の作曲年代は1869年、作曲者ブラームスが35歳の時の作品。ブラ ームスが指導していた女声合唱団のメンバーだったベルタ・ファーバー (Bertha Faber)の次男出生を記念して作曲されたと伝えられる。初演は1869年 12月22日にウィーンで行われた。 復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード 専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。 (1)藤原義江(テノール) マクシム・シャピロ(ピアノ) NIPPONOPHONE 16747(JP)(25cm両面盤) 1928年発売 (堀内敬三・訳、日本語歌唱) 藤原義江(1898-1976)は大阪府生まれの男性歌手。父親がスコットランド人で母 親が日本人。戦前から戦後にかけて活躍した。藤原歌劇団の創設者。ピアノの マクシム・シャピロ(1885-1958)はロシア出身。1927年から1939年まで日本で活 躍した。1917年のロシア革命後にドイツに亡命。1927年日本に移住し、映画 「藤原義江のふるさと」にピアノ伴奏者として出演した。1933年に大阪音楽学 校のピアノ科教授。1939年にアメリカに渡った。 (2)関屋敏子(ソプラノ) 日本ビクター管弦楽団 VICTOR 13076(JP)(25cm両面盤) 1930年9月発売 (堀内敬三・訳、日本語歌唱) 関屋敏子(1904-1941)は東京生まれ。少女時代に三浦環(たまき)(1844-1946)に 学び、東京音楽学校に進むが中退し1925年にデビュー、その後イタリアに留学、 ボローニャ大学で学んだあとスカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各 地で歌った。1929年に帰国、翌年、藤原義江と「ラ・トラヴィアータ」をを共 演した。その後ふたたびアメリカ、ヨーロッパに渡り演奏活動を続けた。1934 年に帰国するが、芸術上と生活上の行き詰まりから1941年に37歳で睡眠薬自殺 を図った。 (3)リア・ギンスター(ソプラノ) ジェラルド・ムーア(ピアノ) HMV DB1874(U.K.)(30cm両面盤) 1933年1月30日ロンドン、アビーロード録音(電気録音)ドイツ語歌唱 リア・ギンスター(1898-1985)はフランクフルト生まれ。ハイスクール卒業後フ ランクフルト高等音楽院で声楽を学び、さらにベルリン音楽アカデミーで指導 を受けた後ヨーロッパ各地の音楽舞台に登場しスターになった。1938年チュー リッヒ音楽アカデミーの声楽科の教授になり、30年以上その地位にあった。 (4)エルナ・ベルガー(ソプラノ) ハンス・アルトマン(ピアノ) POLYDOR 47068(Germany) 1936年6月16日録音 ドイツ語歌唱 エルナ・ベルガー(1900-1990)はドレスデン生まれ。1926年フリッツ・ブッシュ に認められドレスデン国立歌劇場と契約、のちにベルリン国立歌劇場、ハンブ ルク国立歌劇場を中心に活躍した。1955年引退後ハンブルク音楽大学で教鞭を とった。1958年に来日。 (5)エリーザベト・シューマン(ソプラノ) ワルター・ゲール指揮管弦楽団 HMV DA1562(U.K.) 1937年3月11日ロンドン、アビーロード録音 ドイツ語歌唱 エリーザベト・シューマン(1888-1952)はメルゼブルク生まれ。ドレスデンとハ ンブルクで学び1909年にハンブルク歌劇場でデビューした。1937年ナチスのオ ーストリア併合でアメリカに移り、ニューヨークで晩年を送った。 (6)ブランシュ・シーボム(メゾソプラノ) マックリン・マーロウ指揮 ヴィクター弦楽オーケストラ VICTOR 10-1173(U.S.) 1945年4月3日録音(訳詞: Arthur Westbrook) 英語歌唱 ブランシュ・シーボム(1915-2010)はアメリカのオペラ歌手(メゾソプラノ)。 ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の専属として20年以上活躍した。1961年 に来日。 (7)三宅春恵(ソプラノ) 三宅洋一郎(ピアノ) VICTOR NK-3136(JP) 1953年頃発売(訳詞: 大木淳夫、伊藤武雄 日本語歌唱) 三宅春江(1918-2005)は福岡市生まれ。1939年東京音楽学校卒業。ヘルマン・ ヴーハー=プフェニッヒに師事した。ドイツ、オーストリアに留学。フェリス 女学院短期大学名誉教授。ピアノの三宅洋一郎(1914-1994)は熊本県生まれ。 長年にわたり日本女声合唱団の指導、フェリス女学院短期大学楽長などをつと めた。三宅春恵の夫君。 78CDR-3837 シューマン:交響曲第2番ハ長調作品61 ハンス・プフィツナー指揮 ベルリン国立歌劇場のメンバー 独 POLYDOR 95412/6 (1928年ベルリン録音) ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の 一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時にドイツに移住し指 揮者として地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。この録音 は電気録音初期のもので、ベルリン国立歌劇場管弦楽団は数々の指揮者のレコ ード登竜門になった。ブルーノ・ワルター、エーリッヒ・クライバー、オット ー・クレンペラー等の後の大物指揮者も同時期に録音している。 復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード 専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。 78CDR-3838 J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041 マックス・シュトループ(ヴァイオリン) フリッツ・シュタイン指揮 ベルリン大学器楽合奏団 独 ELECTROLA DB5527/8 1939年ベルリン録音 マックス・シュトループ(1900-1966)はドイツのヴァイオリン奏者。1922年、 当時ザクセン国立歌劇場の音楽監督だったフリッツ・ブッシュ(1890-1951)の 招きでコンサート・マスターに就任。1924年から1928年にはワイマール音楽学 校のヴァイオリン教授になり、一方オットー・クレンペラーの要請でベルリン 国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターも務めた。大戦後の1947年からは デトモルト音楽アカデミーでヴァイオリンと室内楽の指導にあたった。指揮者 のフリッツ・シュタイン(1879-1961)は神学者で教会のオルガン奏者でもあっ た。1919年から1933年の長期にわたりキール大学で教鞭をとり、ナチス政権の 下ではユダヤ人関連音楽の排斥に尽力した。そのため大戦後はは失職し1961年 に世を去った。このレコードはドイツ国内だけで発売され、英HMVや米VICTOR では出なかった。原盤番号の末尾の「T」は、演奏会場から電話回線で音声信 号を録音室に送り原盤を作成したという記号。フルトヴェングラー指揮ベート ーヴェンの「運命」(78CDR-3521)のドイツ盤SPレコードにもこの記号がある。 ドイツ以外で発売された盤ではこの記号は削り取られていた。 復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード 専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
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Last updated
2021/06/02 06:41:54 PM
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