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私は 健康おたくの母親に育てられました。 肥満やファーストフードが問題になり 五穀米だの 古代の赤飯だの マクロビなんとかとかが はやる ○○年前から それで育てられました。 母は 肉も魚もあまり好きではなくて(でも 高級なのは ありがたく頂くというとんでもない人。 )で ひじき、豆ご飯、切干大根や高野豆腐などが大好き。 そのほか もちろん流行ったころは紅茶きのこを大事に育ていたし(げげげ) アロエはいつも栽培していたし 今は 無糖のきなこを自家製ヨーグルトにまぜて毎朝食べております。 で、そんな母が料理をするのですからうちは ごはんが白かったことがありませんでした。 そして 弁当はいつも 地味で 肉類が入っていても 地味な色、黄色いたくわんや 赤いソーセージなんて 問題外。 白いごはんと赤いソーセージが 食べたい。ぷっちんプリンとか市販のプリンなんかも 買ってみたいし、、、 なんて 普通の子がやることはやってみたかった。 旅行にいって 白いごはんがでると きょうだいと「おお、銀舎利だ!」と 喜んでいたほど。 まあ そのおかげで こんなにでかく立派に??育ったわけですが、 リバウンドするんですねー お袋の味的なものは 大嫌いです。ひじきも 切干大根も一生食べなくても なんの問題もありません。 パスタも パンも 白いほうが好きです。 煮物は全般ぜんぶだめです。出されれば頂きますが、自分では作る気は しません。 で、リバウンドしたのは 食べ物だけでなくて 色の好みもです。 二人姉妹だったので 洋裁や編み物が得意な母は ピアノの発表会には いつもおそろいのものを作ってくれた。が、、、同じ形で わたしは 青、妹はピンクか赤というパターンは 崩れなかった。 おもちゃで同じものを買ってくれるときも 同じ色にすりゃいいのに わたしは 青で 妹はピンクだった。お風呂で遊ぶやわらかめのプラスチックの如雨露(じょうろって こんな字 変換してくれないと使わないわ)が ぼけた顔色の悪い青で 妹が濃いピンクだったときの記憶は○十年たっても忘れられない。ピンクがほしかったのだけど 姉であるわたしは ピンクが欲しいとは 言えなかった。 で、今わたしは ピンクおばさん、、否、ピンクおねえさんになり ピンクのものを(ここでは わたしが一番好きなクリームイエローの物がほぼ売っていないということもあって)身に着けることが多いのである。 逆に妹は 地味ごのみである。 そして 健康おたくに育てられたわたしは がいこつというあだ名をもつ細い子供だったが、 ちゃんとリバウンドして 今は立派にオージーの仲間入りをしているのであ~る。
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