2005/05/07(土)03:29
WINNING POST 7 1984年
WINNING POST 7 1年目にあたる1984年のプレイ日記を書いてみる。
まずは初期設定。難易度 HARD Aモード(登場馬が史実通り)に。
秘書は当然、如月英里子(笑)。牧場は早来に設置。牧場長は牧野若葉がいいが(笑)
いないので丸瀬文作に。若葉の父親にはもう少したってから牧場長をお願いする予定。
まず最初に幼駒セールに行く。ざっと見てもLIVEで見たことがある馬はいない。
その中で選んだのはシリウスシンボリ、セリで4500万で買えた。思ったより安い。
翌週1頭だけ現役馬を譲ってくれるというのでどれにしようか迷ったがミスターシービーにした。
すでに3冠馬になっているのに譲る奴なんているのか?とつっこみながら6億9470万円で譲っていただくことに。
何故選んだかというと、若くて優秀な松山康久調教師と知り合いになれるからと
以前どっかのHPでシービーをゲットすればテスコボーイ系を確立出来ると読んだ記憶があったから。
前回はノーザンテースト系を確立させた。でも大変だったので今回はやらない。自然には・・・出来んだろうなぁ。(泣)
現役4歳馬ミスターシービーは馬主変更後の初戦をドバイシーマクラシックに設定。
鞍上も郷原洋行に変更。
馬主になっての初戦が海外G1。レースをドキドキしながら見たが意外と簡単に勝った。
だてにJAPAN TRIPLE CROWNじゃないってことか。
初勝利後事務所に織月和佳奈が訪問に来た。初勝利おめでとうとのことだった。
そしてお祝いに赤いお守りをいただいた。それと初勝利がG1なんて日本競馬史に残る輝かしい記録との言葉をいただく。
次走はクイーンエリザベス2世Cここは意外と接戦だったが勝ち。
その後シンガポール航空ICは圧勝。もちろん全て1番人気だ。
夏場を休養にあて、秋緒戦は豪州のコックスプレートだったがここで足元をすくわれ3着。
次走引退レースとなるのが香港の香港カップである。
日本で引退レースを使わないなんてと叩かれそうだが関係ない。(笑)
ここでも力の違いを見せつけ圧勝。見事ワールドSRC制覇する。
もう一頭セールで買ったシリウスシンボリは6月4週に阪神でデビュー。
鞍上には河内洋騎手を向かえ初戦を圧勝。
次に使うレースが近くにないので英国に海外遠征。
ヴィンテージS(1400m)に出走。11頭立て11番人気だったが勝ってしまった。
簡単に海外G3いただいたが賞金が安い・・・遠征したら赤字だよー。
その後新潟2歳S、京王杯2歳Sを勝ちいざ朝日杯FSへ。
おそらく1番人気だし簡単に勝てるんじゃないの?と思っていたが
主戦の河内騎手が乗ってくれないらしい。G1なのにどこいったんだよーって感じ。
騎手を適当に決めたら加賀武見騎手から電話が。シリウスシンボリに是非乗せて欲しいとのこと。
騎乗を依頼していた騎手よりもデータが良かったのでお願いすることに。
ここまで4戦4勝だったし当然1番人気である。
レースは最後方から・・・最後の直線前が詰まり出せない。
その間に抜け出した岡部騎手騎乗の2番人気スクラムダイナが先頭に。
ようやく捌き伸びてきたが時すでに遅くハナ・1/2馬身差の3着。
3番人気だったミホシンザンは4着。
まあG1そんなに甘くはないってことか。
次の世代の馬たちは、所有することを決めているステージチャンプの母ダイナアクトレスと現役で走ってるのを見たことがあるランニングフリーを買った。
その下の世代はマックスビューティを産むフジタカレディを買う。
マックスビューティは生まれてから中村均調教師と伊藤雄二調教師が牧場にやってきて
自分に預からせて欲しいと言っていただく。エアグルーヴやファインモーションで
お世話になると思われる伊藤雄二調教師に預かっていただくことにした。
これでまた優秀な調教師ゲットである。まあ馬主レベルが低いと他の馬は預かってもらえないのでマックスビューティに頑張ってもらい馬主レベルと調教師友好度を上げてもらいましょう。
もう一頭スルーオダイナを産む繁殖牝馬スルーを買う。
まとめ
【ミスターシービー】
84年3月 ドバイシーマクラシック 1人 1着
4月 クイーンエリザベス2世C 1人 1着
5月 シンガポール航空IC 1人 1着
【休養】
10月 コックスプレート 1人 3着
12月 香港カップ 1人 1着
【シリウスシンボリ】
84年6月 新馬 1人 1着
7月 ヴィンテージS 11人 1着
9月 新潟2歳S 1人 1着
9月 京王杯2歳S 1人 1着
12月 朝日杯FS 1人 3着
以上、1年目終了・・・2年目につづく