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いっちゃんのギター談義

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2005年03月14日
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カテゴリ:アーティスト
村下孝蔵

私が始めて村下さんに会ったのは、広島のRというライブ喫茶であった。
当時、学生の私はそこで唄わせていただいていた。バイトである。
私が唄いだしたころは、村下さんはもうレギュラーではなくて、時々お客さんとして来ていた。そして時々、飛び入りで唄っていた。
「うまい人がいるなー」と思った。服装はいつもスーツだった。
当時、村下さんは、ピアノの調律師として、ヤ○ハの専属だっだ。

アマチュアとしては抜群にうまく、いろいろなコンサートに出ていた。
マーチンD-45でね。ライブの途中チューニングなんか、音叉なしなんだよね。絶対音感があるから。

アマチュアの頃から「松山行きフェリー」「ひとり暮らし」「レンガ通り」「2年前なら」「小さな屋根の下」などは、よく唄っておられた。
Rという店で、飛び入りで唄った時、新曲ですと言って「月明かり」を披露していただいたのを覚えている。(今のと歌詞が違っていた)
その後、LPレコードを自費出版されて。(どっかいっちゃったなー)
村下さん26歳くらいだったかな。

村下さんはほんとうに礼儀正しい方で、私のことは今とおなじく「いち君」と呼んでいただいていた。
そのころは、私がお世話になっていたTさんのラジオ番組の中で、「孝蔵兄ちゃんのコーナー」というのを担当されて、人気があったなー。
私も、このラジオでコーナーを持たせていただいた。2回だけね。

デビューはCBSのオーディション。実は私も一緒に受けたのだ。(笑)
村下さんは優勝。私は、落選。(キツイなー)
その後、音楽関係者を集めた、ソニーの披露パーティーがあって、村下さんと、五十嵐浩晃さんが来た。
私はTさん(拓郎の古い船・・・の中で歌っている人)につれられてパーティーに行った。(だいたいこういう場所には行くんだよな)
アマ時代からさらにパワーアップした村下さんがいた。
しゃべりは相変わらずだったが。むかしからしゃべりが下手でね。(笑)

ところで、村下さんの奥さんは、私が第2期広島フォーク村で同期だった、Kさんのお姉さんで、Kさんは、原田真二とアマチュア時代バンドを組んでいたが、今は、日本画家として有名になっている。今も個展の案内をいただくが、さすが、絵の値段は高く、私には金が無いのでとても買えない。
そんなことも、私が村下さんに対する想いを深めていた要因だった。

私が、広島での学生&音楽生活に見切りをつけて、京都に帰ってきてすぐのこと。
ふとレコード屋で、聴きなれた歌声が流れている。
そう、「初恋」がヒットしていたのだ。嬉しかった。ほんとうになんか自分のことのように。女房は村下さんのファンになった。(決して私の歌は聴かないけどね)

そして、1999年の突然の訃報。広島の同期の人達は、追悼コンサートなんかやったと聞く。
私は、ひっそりと、一人、村下さんの歌を唄い追悼した。
私は歌が言うほどうまくないので(ほんとうなんです)、私のオリジナルしか唄わないが(比較されないでしょ)、松山行きフェリーだけは、実は18番なのだ。
思い出すと悲しくなるので、このへんでペンを置きたい。
村下さんのこと知らない人がいたら、「レンガ通り」を聴いてみられることをお勧めする。村下さんの歌の中で、私の一番である。






最終更新日  2005年03月15日 02時10分01秒
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