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カテゴリ:教師業
日曜・月曜と連休でしたが、 ほとんど出かけていて、非常に濃い2日間でした。 日曜の昼間は、嫁さんと僕と僕の両親・伯父さんとロング昼食会+討論会。 メンバーがメンバーなので、 テーマはほとんど教育論+リーダー論。 あっという間の4時間でした。 その後、GK先生、MC先生、卒塾生のドラと合流。 沼津の講演会に参加してきました。 (現地で、池間さんファンの中3生とお母様とも合流) 主催なさった方は、6月の宿泊研修でお知り合いになった方でした。 講師は、池間哲郎さん。 僕は池間さんの話を聞くのは3回目でした。 が、使用した映像が前回前々回と比較して ところどころ変わっていて、 今回も感動しました。 池間さんのお話は、親子で聞いて欲しいですね。 次回の講演会の講師のおひとりが 春に講演をしていただいたショウタさんらしく、 嬉しかったです。 帰宅しようとすると、東名上りの渋滞が40キロ。 箱根の山を越えて、帰宅しました。 昨日の月曜は普段からお世話になっている先生の結婚式・披露宴に 夫婦で参加してきました。 (ここでお名前は出さない方がいいかなと) 会場は前日通過した「箱根」、余興のゲームでひいたくじも「箱根」 どれだけご縁があるのでしょうか。 そしてスピーチまでご指名頂きました。 僕のスピーチが終わってからは、本当に感動的でした。 素晴らしい先生方とのご縁もありましたし。 そして、最後の新郎の挨拶のときは、目頭が熱くなってしまいました。 帰りは渋滞を避けるため、 一般車通行禁止の林道で下山。あっという間に足柄平野へ。 東名上りの渋滞はmaxで51キロだったとか… 塾の近くで買い物をして帰宅。 充実した日々でした。 === その先生が5年生の担任になった時、 一人、服装が汚くだらしなく、 どうしても好きになれない少年がいた。 中間記録に先生は少年の悪いところばかりを 記入するようになっていた。 ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。 「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。 間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。 2年生になると、 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」 と書かれていた。 3年生では 「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」 後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、 4年生になると 「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」 先生の胸に激しい痛みが走った。 ダメと決めつけていた子が突然、 深い悲しみを生き抜いている生身の人間として 自分の前に立ち現れてきたのだ。 先生にとって目を開かれた瞬間であった。 放課後、先生は少年に声をかけた。 「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない? 分からないところは教えてあげるから」 少年は初めて笑顔を見せた。 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。 授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。 少年は自信を持ち始めていた。 クリスマスの午後だった。 少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。 あとで開けてみると、香水の瓶だった。 亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。 先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、 気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。 「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」 6年生では先生は少年の担任ではなくなった。 卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。 「先生は僕のお母さんのようです。 そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」 それから6年。またカードが届いた。 「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、 とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって 医学部に進学することができます」 10年を経て、またカードがきた。 そこには先生と出会えたことへの感謝と 父親に叩かれた体験があるから 患者の痛みが分かる医者になれると記され、 こう締めくくられていた。 「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。 あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、 神様のように感じます。 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、 5年生の時に担任してくださった先生です」 そして1年。 届いたカードは結婚式の招待状だった。 「母の席に座ってください」 と一行、書き添えられていた。 === 昨日参加させていただいた披露宴にて ふと思い出したエピソードです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
September 21, 2010 02:59:28 PM
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