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カテゴリ:「むむむな気分」
12月はジョン・レノンである。夏目漱石である。そして、忠臣蔵である。
♪ 勅旨下向の春やよい、如何に果たさん、勤めなん。 身は饗応の大役ぞ。頼むは吉良と思えども、かの振る舞いに男泣き♪だったかな。 コレは昔のはやり歌で、誰も知らないだろうし、自分でも覚えているのが謎である。それに若い人にとっては、忠臣蔵って何?が多いかもしれない。 まぁ、しかし、播州赤穂のある兵庫県民にとっては、盆正月の次に忘れられない日であろうか。 芥川龍之介の短編に「或る日の大石内蔵助」と言うのがある。12月14日払暁、吉良邸討ち入りを果たした47人の浪士が、お上の沙汰を待つ間の話。巷間では、赤穂浪士に倣って、親の無念、主君の恨みを、俄かに果たさんと仇討ちが大流行だと言う。噂を聞いてきた浪士たちが、自分たちの功労と引き比べて、あぁだ、こうだと、ヒソヒソ話に余念が無い。 弱々しい冬の陽が差し込む部屋で、大石は巷に起こりつつあるこの風潮に、苦々しさと虚しさを覚え、所在無げに陽の移ろいを過ごしている。確かこんな筋立てだった。 井上ひさしに「不忠臣蔵」と言うのがある。47人の中に入れなかった、あるいは入らなかった浪士の話である。中には、殿中の刃傷沙汰になるを予測して、この度の任務を降りるように赤穂藩主に進言した家老の話もある。 理由は、近頃、主君は勘気が強く、つまり不機嫌なことが多く、将軍の名代(代理人)だと自負する吉良氏の下で働けば、鼻持ちならんとトラブルの原因になると言うのである。 もちろん、この進言者は主君から疎んじられ、遠ざけられて47人の中には入れなかったばかりか、討ち入り後も、世間からは不忠義者と、非難、そしりを受け続けるのである。 さて、家名の重さ、家臣の将来を捨てても、武士の誇りは尊いものか。 先日「困ったチャン」について書いたが、赤穂藩主が切りつけた相手は、将軍の厚き信任を得た(?)吉良氏である。つまり、「信頼されているけど、そばにいられると困ったチャン」である。今、小比木啓吾さんの「困った人間関係」の精神分析(新潮文庫)を読んでいる。 別に、先日の問題が尾をひいているわけではないが、「評判のいい困った人たち」「愛と憎しみの困った人たち」「自分の中の困った人たち」など自分に当てはまる? あるいは自分の周りにいる人たちがいて、大変興味深い。 こういう引き合いは、忠臣蔵の好きな日本人にとって、噴飯ものかもしれないが、時代が変われば、美談も評価は変わるかもしれない。 因みに、今、赤穂市では、商工会議所が天守閣を作ってライトアップしている。 そして、ここ、T市は、大石内蔵助の妻、「りく」さんのふるさとである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月13日 12時10分54秒
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