愛の手帳取得
特別支援学級に通っていますが、障害児としての正式な?認定をうけていないので、愛の手帳を取得することになりました。これを今までとってこなかった意味も、ここでとる意味も、実はよくわかっていません。まったくわからないわけではないけれど、すっきりはわかっていません。情報が、とにかくないです。いろいろ尋ねて、いろいろきいて、いろいろ読んで、意識をひらいて、アンテナを張って、自分も動いて、自分からどうにかすることで、やっと、見えてくる世界だという・・ここが、あいかわらず、なにか辛いと感じています。だいぶ慣れましたが、でも、慣れきってもいけないのだと思っています。違和感を違和感としてもって変えていく動きが必要とされる・・という側面も世の中にはあると思う。診断書がやっとできました。「4」の部分にまるがたくさんついていました。「軽度」の「知的障害」なんだな、と、ここで、改めて思う。当たり前ぐらいの事実だけれど、正式書類の文字でみると、何か気持ちが違います。喜怒哀楽でいうなら、なにか、やっぱり哀しくて小さな怒りも感じる。いらだち、というのか。なんだろう、この気持ちは。「軽度」という中途半端さにも、「障害」という言葉にも、苛立つ。いや、やっぱり哀しいんでしょう。私は息子が愛しいけれど、彼を愛しいと思う気持ちは、イコール「将来が心配」であることが多い。そういうことが、つまりやっぱり今も、哀しくて悔しいんでしょう。