『”氣”を補給する要因』に改めて思うこと
皆さま、こんにちは☆HANDSの園山です。『健康でいつづける為に・・・』の「氣の活性化」のコンテンツの中に”氣の修復システム”という項目があります。この項目を開くとすぐに『”氣”を補給する要因』が書かれた表がありますが、先日、私自身の身に起きたことを通して、この『”氣”を補給する要因』の”重さ”を改めて感じさせられたことがありましたので、ちょっと書いて見たいと思います。この1ヶ月余りというもの、体調がいまいち優れず、精神的にも何となく否定的になっている自分自身と闘う日々が続いていたのですが、昨日のある出来事がキッカケとなり、その状態をようやく脱する兆しが見えてきました。体調を崩すに至った要因は3つほどありました。まず、ちょうど1ヶ月程前に15年ぶりの歯科治療に行き、そこで新たに入れ歯を作ったことです。15年前に入れ歯を付けて以来、その入れ歯が外れるのを避けるために殆ど右側だけで片噛みをしていたのですが、その入れ歯もボロボロになり、身体のバランスもいよいよ耐え切れなくなってきたのでようやく重い腰をあげて嫌いな歯医者に行ったのですが、新たに入れ歯を入れて噛み方を変えたことで身体のバランスが大きく変化したことが一因です。そして次に、5月まで続けていた早朝のトレーニングをやめて、トレーニングの時間帯と頻度を変えたことがかなり大きく影響しています。毎朝、定時に起きて行っていたトレーニングをやめた分、夜の就寝時間や朝の起床時間がまちまちになり、自分の体が何時に寝て何時に起きたらいいのか、という丁度良い位置を模索していました。今まで3年以上続けていたことを止めたので、身体が不安定になったのです。そして更にこの時期、知人の紹介でゼオライトを使ったデトックス法にチャレンジしていました。ゼオライトの活性化溶液を飲むことで体内の重金属を主とした不純物を体外に排毒するというこの方法は、かなりの覚悟がいる手法です。いわゆる”好転反応”といわれるものが必ず出るのですが、それが私の場合には身体だけではなく精神的にも現れていたようです。結果的には、身体的に風邪のような症状と全身の倦怠感に見舞われ、更に何事にも否定的な感情で被い尽くされるという状況へと向かっていったのです。このような状況の中で私自身に必要なのは自然の中での深呼吸だと思っていたので、昨日の定休日に久しぶりに、長男と二人、山梨県の道志村へピクニックに出掛けたのです。幸いにもこの日は快晴でした。清流の流れる森の中のキャンプ場でテントを張り(広大なキャンプ場内は平日のため貸し切り状態でした)、長男と二人で釣りや川遊びに明け暮れ、自然の空気をたっぷりと吸い込むことができました。しかし、この時点ではまだ私の身に大きな変化は起きませんでした。その後、一日の疲れを洗い流そうと向かった村営のお風呂屋さんへ向かった先で、私の内面にとても大きな変化が起きたのです。お風呂は温泉でもなく、別段大したことのないものでした。でも、その風呂屋の正面を流れる川の奥に、とても心惹かれる緑の広場が目に入りました。恐らく村によって整備された一画だろうと思いますが、とても自然な状態で、なおかつ綺麗に広葉樹が植えられています。とても神秘的でエネルギーの質が他とは違っている場所でした。お風呂に入ったのはもう夕方でしたが、何故か、どうしてもその広場を歩きたくてしょうがなくなっていました。それで長男を連れて風呂上りの散歩がてらにその広場に足を踏み入れてみると、なんとも心地良い気分にさせられます。しかも、何故かその広場の一番奥まで、何かに引っ張られるように歩いていきたくなるのです。そして、その広場の一番奥まで来てみると、体を自然に伸ばしたくなり、そして大きな声を出したくなりました。それくらい心地の良い場所なのです。そして気がつくと、その広場の片側を占めている山に向かって、伸びをしながら大きな声で「あ~り~が~と~!!」と叫んでいる自分がいました・・(笑)3回ほど叫びました。その瞬間、全身にエネルギーが満ち溢れて体が軽くなり、自分の中でわだかまっていた否定的な思いが溶けていくのを感じました。そしてまた、人工的に整備された広場ではあるものの、その地からとても強いエネルギーが沸いていることを感じ取りました。この土地には何があったのだろうか?そんな思いがつい沸いてくる、そんな場所でした。道志村からの帰り道は、以前友人がくれたCDを久しぶりに聞きながら帰ってきました。その友人がCDをくれた時の彼女の想いやその頃の自分自身の姿。自分が関わっている様々な人たちの想いが一つ一つ頭の中に浮かびました。そしてまた、自分が触れることができた自然との感触も蘇ってきました。今日、こうして長男と一緒に自然の中に居れたこと。この日関わったすべての人たち。自分が今ここにこうして生きていること。ただ、それだけで十分。それ以上にいったい何を求めようというのでしょうか?健康であろうと必至になって自分と闘っていた1ヶ月間。それらは決して無駄ではありませんでした。でも、気がついてみれば、肩に力を入れて本当の中の自分を何処かに置き去りにしていたのかも知れません。お風呂屋さんの向かいに偶然あったその広場が、そして、”ありがとう”の言葉が、そしてまた、この日のために準備された全ての人が、今の私自身をもたらしてくれました。こんな体験をしたすぐ後に、何気に『”氣”を補給する要因』を開いてみたら、その一番トップに書いてあったのですね。感謝する気持ち(ありがとう)体にはまだ倦怠感が残ってはいますが、優しさと愛で満たされた内面の充実感を取り戻せたのは、果たして・・・・この言葉の魔力なのでしょうか?それとも、その広場のエネルギーでしょうか?はたまた、このような体験をもたらしてくれた全ての縁でしょうか?きっとその全てなのでしょう・・。一つ、確かに言えることがあります。それは、決して放棄しないこと。どんな状況にあったとしても、最後に放棄したら負けです。弱音を吐いても良い。泣き言をいっても良い。助けを求めても良い。大声で叫んでも良い。諦めることも時には必要。。。でも、放棄してしまったら、全ては終わりです。放棄することと諦めることは違います。放棄することは、自分の魂を捨てることです。自分の魂だけは絶対に捨てないで下さい。そうすれば、いつか必ず”時”が回ってきます。良い”氣”を補給するために小さくてもいいので努力してください。そうすれば必ず転機が訪れることでしょう。※6月30日更新※訂正情報村営のお風呂屋さんはカルシウムやナトリウムを含む硫酸塩泉だそうです。