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カテゴリ:意識
昨日はお仕事から実家に直行し、夜遅くに帰ってきてから
いいこと探検家さん(立山祐二さん)の冊子を読ませて頂きました。 ダウンロードして読めるもので(無料です!)、題して『気づきで人は変われる』。 読みながら自分が漠然と思っていた気持ちが、どんどん具体化されていくような気がしました。 おととい九州での日記を書いたときに、 いくつかの心躍る体験を書いたのですが、その体験以上に印象深く心に残ったことがありました。 言葉にしてしまうととても短いもの。でもその短い言葉の中にたくさんの大切なことが詰まっているような気がして、印象に残っていたのです。 そして、それが立山さんの文章を読んでさらに深く心に広がっていった感じです。(もちろんそれだけではない素晴らしい内容でした) それは鹿児島で泊まった民宿のかた(船長さん)がお話してくださったことなんですけど、 しかも前の晩、たまたま一緒に見つけた珊瑚の赤ちゃんを陽の当たる場所に移植しながら・・・。 照りつける太陽の下で肌を焼きながら(>_<)。 若い時に航海士としてハワイに5年、南アフリカに3年いたことがあったそうです。 で、現地の人たちの中に入っては、同じ質問をしていたそうなのです。 「なんのために生きているか」 日本人なら、言葉を詰まらせてしまうかもしれない質問です。 でも、ほとんどすぐに応えが返ってきたそうです。それが、なぜか皆一様に「for enjoy my life.」。それはハワイの人たちから返ってきた言葉。 過酷と思われる労働している人に聞いても、同じ答え。 「でも、今の生活はきつくはないか?」と聞くと、「自分が働くとことで、家族が幸せでいられるし、ほんとにきつかったら辞めればいい。」 南アフリカでは「for love.」そして男性が女性をとても大事にするそうです。 あるときは、行列を作っていたバスに乗り込もうとしたら、後ろから「なぜ、女性を先に乗せないんだ?」と野次が飛んだとか。 で、日本に帰ってきてから同じシチュエーションで、まず女性を先に乗せようとしたら、今度は「なんでみんなちゃんと並んでいるのに、そんなことをするんだ」と後ろから野次が飛んだという話しもありました。 これはほんの一つの例だと思うし、みんながみんなそうだとは思わないけれど、 国民性の違いというか重きを置いているものの違いを感じました。 船長さんはハワイと南アフリカでの生活で人生観が変わったそうです。 「楽しむことと、愛」。 言葉にしてしまうととても短いんだけれども 楽しむことというのは、いろいろなことを前向きに捉え充実感を感じながら生きるということ。 愛というのは、家族や友人などを愛するというものもちろんだと思うけれど、 もっと広い意味で自分のまわりにあるものを、愛情をもった目線で見つめるということ。 そんな漠然としたものを船長さんのお話から感じました。 なんというか、その即答した言葉から生きているということの原点をきちんといつも心に感じながら生きている、とても大らかなものを感じたのです。 そして立山さんの文章を読んで・・・ 経験に基づく気づきや、自分の心で感じることの大きさ、「生きている」ということの捉えかたに感じ入っていました。 ああ、こんな書き方では伝わらないと思うので、ぜひ原文を読んで頂きたいと思います。 そして改めて感じたこと。私たちが何気なく住んでいる世界はすべてのものが何らかの形で関わりあいながらこの世界を創りだしています。そして全てが繋がっている。 結婚式のときに友人からもらった「我以外、みな師なり」という言葉をときどき思い出すんですが、人に限らずあらゆるものがきっと学びの対象で影響を与えあっているんですよね。 それから深いところの意識(潜在意識)の中でもすべてのことは共有されているといいます。 喜びも感動も痛みも。 私たちは例えば人と自分を比較したり、自分と違うものを受け入れようとしなかったりしますが、でも私たちの表面の意識にのぼってこないだけで、それぞれの意識を共有しているとしたら? (集合無意識とよばれるもののように) もっと受け入れたり、許したり、心を開いたりできそうです。そしてみんなで一緒になって、 個としてでなく全体として生きることの価値を実感できたら・・・。 ・・・とは思いますが、うまくはいかず、人と自分を分けてしまったり、思っていることとやっていることが違う自分に腹を立てたり、なかなか・・・。 成長したいのにね。 心から、そして行動にも当たり前にでるようになるには時間がかかるかもしれないけれど、みんなで共有しあってこの世界を創っているということ、その中で自分は自分であるということの喜びを実感していきたいなぁと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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