歌 と こころ と 心 の さんぽ

2021/04/23(金)09:53

〇 俵万智の「未来のサイズ」が、第55回迢空を受賞したとか

歌(102)

♪ つぶやきを日記のように認めしみそひともじのこころ親しも‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥  俵万智(58)がこの度、前作『オレがマリオ』以来7年ぶりの第6歌集「未来のサイズ」が4月19日、第55回迢空(ちょうくう)賞(角川文化振興財団主催)に選ばれた。同歌集は3月に発表された第36回詩歌文学館賞(日本現代詩歌文学館振興会など主催)も受賞している。  表紙は菊地信義さんによる装丁で、虚飾を一切省き、表と裏に堂々と歌を見せるという大胆不敵なもの。  1987年の「サラダ記念日」で一世を風靡したあとも第二歌集『かぜのてのひら』、第三歌集『チョコレート革命』、第四歌集『プーさんの鼻』、『たんぽぽの日々 俵万智の子育て歌集』、『生まれてバンザイ』、『あれから 俵万智3・11短歌集』、第五歌集『オレがマリオ』と、その類まれなセンスを31文字に凝縮させて、短歌ファンを唸らせてきた。  社会と一個人の綾なす生なる機微を切り取って、絶妙な言葉選びのうちに普遍的な心模様を具現化して見せる。分かり易い表現に徹して外連味がない万智節は衰えを知らない。  前作からの7年間、沖縄の石垣島から九州の宮崎に住まいを移し、小学生だった息子は高校2年生になったという。歌集のタイトルは「制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている」からとられたようだ。  3部構成で、コロナ禍のなかで作られた2020年の歌から始まり、第2章は、13年から16年春まで石垣島で詠んだ歌が並ぶ。11年の東日本大震災直後、仙台から石垣島に住まいを移した2年後の歌だ。最終章には、息子の中学進学を機に宮崎に移り住んだ16年春から19年にかけて詠んだ歌の数々。  本が手元にないので、2020年11月11日に朝日新聞「好書好日」に掲載されたものと、カスタマーレビューに載っていた歌から掲載させていただきました。順不同です。  歌集は当然、構成を考えて歌を並べるわけですが、連作は別として一首一首それぞれが独立して詠まれているものです。順序を無視して、ランダムに読むとその歌の重みが違って来るように思う。 ●朝ごとの検温をして二週間前の自分を確かめている ●手伝ってくれる息子がいることの幸せ包む餃子の時間 ●カギカッコはずしてやれば日が暮れてあの街この街みんな夜の街 ●「前向きな疎開」を検討するという人よ田舎は心が密だよ ●第二波の予感の中に暮らせどもサーフボードを持たぬ人類 ●なにすんねんまだ咲いとるわというように小さなトゲを立てる一輪 ●島らっきょうの泥落としつつ考えるネギ科の女、イモ科の男 ●海の香を焦がさぬように半日の時間煮つめて作る佃煮 ●「群(むり)か星(ぶし)」耳にやさしき八重山の音韻で聞く星の伝説 ●夕焼けと青空せめぎあう時を「明う(アコー)暗う(クロー)」と呼ぶ島のひと ●あたりまえのことしか書いていないなと憲法読めり十代の夏 ●ベランダに朝顔青しサンディエゴの夏の中なる息子を思う ●君の死を知らせるメールそれを見る前の自分が思い出せない ●じゅん子来て進次郎来て一太来て「魅力ある島」と訴えている ●誰よりも知っているのにああ君をネットで検索する夜がある ●風邪ひけば葛根湯を飲む我のこの習慣は亡き人ゆずり ●我のため今朝色づける赤イチゴ蟻に食われる前にもぎとる ●人参を抜いて尻もちつく真昼 絵本のような畑に一人 ●三月の資源ごみの日きっちりと束ねられたる参考書あり ●地頭鶏(じとっこ)のモモ焼き噛めば心までいぶされて飲む芋のお湯割り ●世界まだ知らぬ息子が暗記するアンデス山脈バチカン市国 ●シチューよし、高菜漬けよし、週末は五合の米を炊いて子を待つ ●日に四度電話をかけてくる日あり息子の声を嗅ぐように聴く ●理系文系迷う息子が半日を「星の王子さま」読んでおり ●子の髪に焚火の匂い新調のダウンジャケット焦がして戻る ●シャーペンをくるくる回す子の右手「短所」の欄のいまだ埋まらず ●ふいうちの「好き」を投げればストライク「ずるい」と言われることにも慣れて ●ひとことで私を夏に変えるひと白のブラウスほめられている ●「死ぬまでの待合室」と父が言う老人ホーム見学に行く ●あの世には持っていけない金のため未来を汚す未来を殺す ●何一つ答えず答えたふりをする答弁という名の詭弁見つ ●『失われた時を求めて』未読なり縄文杉への道未踏なり ●別れ来し男たちとの人生の『もし』どれもよし我が『ラ・ラ・ランド』 ●生きながら死につつもある人間は勝ちながら負け、負けながら勝つ ●五十肩の両腕そろりと上げゆけば中年われのファイティングポーズ ●レシピ通りの恋愛なんてつまらないぐつぐつ煮えるエビのアヒージョ ●自己責任、非正規雇用、生産性 寅さんだったら何て言うかな ●テンポよく刻むリズムの危うさのナショナリズムやコマーシャリズム ●ふいうちでくる涙あり小学生下校の群れとすれ違うとき ●ほめかたが進化しており「カフェ飯か! オレにはもったいないレベルだな」 ●最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て    「どのように詠めば大衆に受け入れられ、識者の評価を得られるかが計算しつくされている俵の視点と技巧があざとい」という意見もある様ですが、これはもう資質という宿命的な才能でしょう。それが個性というものですし、その才能が妬ましいという感情を誘発したりもする。  好きも嫌いも両方あって当然ですし、日当たりが良ければそれだけ影が強くなるのは仕方のないこと。  決してどれもがスラスラと詠んだ歌ではないと思うし、慎重に言葉を選び、誤読もされないように細心の配慮がなされているでしょう。また、それらの行為そのものが作歌の醍醐味でもあり、簡単ではないゆえの面白さでもあります。 「万智(まち)節」の完成度の高さが認められての「迢空賞」なのでしょうが、俵万智は釈迢空とは最も遠いところにいる歌人と思っていた私は、ちょっと意外な感じがしました。認識不足ですね。  釈 迢空(しゃく ちょうくう) 1887(明治20)年2月〜1953(昭和28)年9月 大阪生まれ。國學院大學卒業。歌人、詩人、古代学・民俗学者。國學院大學教授、慶應義塾大学教授。文学博士。本名・折口信夫(おりくち しのぶ)。國學院の学生時代から、子規庵の根岸短歌会に加わり、さらに「アララギ」に拠って歌を詠んだが、1925年には超結社誌「日光」に参加。翌26年、第一歌集『海やまのあひだ』を刊行。大学卒業後、柳田国男に出会い、以後民俗学においては柳田を師とした。國學院、慶應義塾で教鞭をとり、その間に、『国文学史の発生』『古代研究・民俗学編』『古代研究・国文学編』『万葉集研究』などを発表。歌集に、『春のことぶれ』『水の上』『遠やまひこ』『倭をぐな』があり、詩集に『古代感愛集』、小説『死者の書』がある。 その生涯における著作は、『折口信夫全集』(全31巻、別巻1。1954〜59年)としてまとめられ、また『日本文学史ノート』『日本芸能史ノート』等を含む『折口信夫全集 ノート編』(全18巻、別巻1。1970〜74年)が刊行されている(いずれも中央公論社刊。その後数次の全集刊行あり)。 「サラダ記念日」から34年。短歌は大きく変わって、万葉風の歌を詠む人などごく少数になったし、口語の歌が主流となり口当たりの良い歌、分かり易い歌がもてはやされる今、もう絶対に無視できない存在になったという事でしょうか。  難しいことはITがやってくれる時代、人間の思考はどんどん単純になっていく。言葉の重みもどんどん目減りして行って、本来の意味など無視して使われる。国を司る者が率先してそれを実行しているのですから、何をかいわんやです。  空前の俳句ブームで、猫も杓子も俳句をひねっているのは良いことには違いないですが、俳句で国語力が上がるとは思えない。短縮形を好む今の社会に合っているだけの事で、私なんかは返って弊害が出るんじゃないかとさえ思ったりもします。  文章力の落ちていることが危惧されているさ中、せめて<31文字を使う短歌>にこそ慣れ親しんでほしいものですが・・・。

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