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カテゴリ:ジャズ
昔から気になっていて買おうと思っていて買いそびれているアルバムってどなたでもあると思います。 個人的には、クラシックでいえばカラヤンの「パルシファル」とかノリントンのベートーヴェン交響曲全集(新盤)です。 ジャズでいえば、昨日レビューしたコニッツの「サブ・コンシャスリー」なんかもそうです。 今回取り上げる「残氓」(1976)もまさにそういったアルバムです。 このアルバムは、インパルスの「生と死の幻想」(1974)に匹敵する、キースのアメリカン・カルテットの傑作として有名です。 耳にしたのも初めてですが、第1部があっけなく終わってしまって、あれっと言う感じでした。 第2部は家では聞けず、車で聞きました。 第1部よりはインパクトがありますが、すぐ傑作だとは感じませんでした。 その後何回か聞きましたが、今のところ、物凄い傑作とまでは言い切れないような気がします。 このアルバムはその当時のキースの特色である民族色豊かな演奏であります。 そして、アメリカン・カルテットの最後の作品でもあります。 全体的には、「生と死の幻想」に通じる、民族色と耽美的な色合いが濃い作品だと思います。 それに、強い意志も感じられます。 何かはうまく表現できないのですが、とにかく濃いです。 第1部後半のベース・ソロのバックで鳴らされるチェレスタが絶妙です。 ベースソロが終わった後の、ピアノ・ソロのしみじみとした味わいも筆舌に尽くしがたいです。 第2部の最初はフリー・フォームでレッドマンの咆哮もありかなり過激です。 咆哮が終わるとモチアンとキースのOsi Drumsが暴れまくります。 Osi Drumsは箱に板を一杯打ちつけたような楽器みたいですがこちらにSinging Telegram(歌う無線?)とあるのは意味が分かりません。 キースはピアノだけでなく、ソプラノサックスや打楽器なども演奏しています。 その当時の、才気煥発ぶりが微笑ましい気がします。 ピアノのプレイとしては、「フェイシング・ユー」(1971)のようなフレージングが時折出てくるのは「生と死の幻想」とはちょっと違います。 キースは当時盛んに叫び声をあげていましたが、スタジオ録音でもこんなに上げるのかと思ってしまうほどです。 この方はスタジオであれライブであれ、関係ないですね。。。 ところで、このアルバムの邦題「残氓」ですが、一度聞いたら忘れられないネーミングです。 webのgoo、google、yahooなどを調べましたが、この言葉は載っていません。 大体、「氓」は変換の候補に出てこないくらいですので、ないのも当たり前かも知れません。 国語辞典が手元にないので、漢和辞典で「氓」を調べてみると、「他国から逃げてきて帰化した民、移住民」「人民、庶民」という意味が載っています。 原題の「Survivor's Suite]から推測すると、人民の生き残りのような意味でしょうか。 しかし、この邦題は一度聞いたら忘れられません。 いったいどなたが考えたんでしょう。 「残氓」なんて、思いつくような方はめったにいないと思いますので、よほど博識の方かもしれません。 ところで、何回か聞いているうちに、デューイ・レッドマンの演奏が息子と似ていることに気がつきました。 やはり、親子の場合、似てしまうことがあるんだなと思ってしまいました。 こうして聞いていると、「生と死の幻想」に比べて地味ですし、ストイックな感じがします。 現代の演奏で、こういうストイックさが聞かれる演奏はあまりなくなったように思いますが、私が知らないだけでしょうか。 私の購入したアルバムは1997年のリリースですが、録音は悪くないです。 THE SURVIVORS' SUITE(ECM 1085) 1.Beginning 2.Conclusion Keith Jarrett(p,ss,Bass Recorder,Celesta,Osi Drums) Dewey Redman(ts,Perc.) Charlie Haden(b) Paul Motian(ds) Recorded April 1976 at Tinstudio Bauer,Ludwisburg お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021年12月27日 17時12分18秒
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