音楽雑記帳+ クラシック・ジャズ・吹奏楽

2012/10/03(水)21:33

遺体 震災、津波の果てに

本(130)

ノンフィクション作家石井光太の昨年出版された「遺体」を読む。 「副題が震災、津波の果てに」で、昨年の震災に襲われた釜石の遺体収容所にかかわる人たちから取材したルポです。 作者がこれを書いた理由が、あとがきに書かれています。 『取材は3月14日から約2か月半でその間2か月半を被災地で過ごし、週刊誌や月刊誌に現地ルポを送ることになる。 最初は沿岸地域を回り、そこで繰り広げられる凄惨な風景を目撃することになる。 そうしているうちに作者はこれだけの死を日本人はどうやって受け入れていくのかという疑問を感じる。 震災後メディアは申し合わせたように「復興」という狼煙を上げ始めた。 だが作者は、被災者がこの数えきれない死を認め、血肉化する覚悟を決めない限りそれはあり得ないと思った。 死を受け入れ、それを十字架のように一生背負っていく決意を固めて初めて「復興」が進むと感じた。 そのことから、最も悲惨な光景が繰り広げられた遺体安置所で展開する光景を記録しようと心に決めた。 そこに集まった人々を追うことにより、彼らがこれほど死屍が無残に散乱する光景を受容し、大震災の傷跡から立ち直って生きていくかを追ってみようと思ったのだ。 釜石を舞台にしたのは、町の半分が被災を免れて残っていたことが大きいと言います。 町ごと壊滅したところでは、遺体捜索や安置所の管理は市外から派遣された人々が行っている。 釜石では、そこに暮らす人々が隣人たちの遺体を発見し、運び、調べ、保管することになった。 そこにこそ、震災によって故郷が死骸だらけになったという事実を背負って生きていこうとする人々の姿があるのではないかと考えたのだった。』 遺体安置所に絞って、描くということは、全く独自の視点だと思います。 外にいれば、凄惨な場面に事欠かないし、救援の人々に密着した記録も書くことができます。 しかし、それは多くのジャーナリストが考えることなので、ここで描かれているような遺体を考えることにはなりません。 遺体が主人公なので、惨たらしい描写もあります。 しかし、作者の遺体に対する温かい気持ちと淡々と描かれた文章により、どぎつく感じられません。 このルポでは釜石での救助活動に従事した方や、被災した方、数十人の話が書かれています。 震災直後の話ですので、生々しいことも出てきます。 家族を亡くした人々のなげき悲しむ様子や、検視をした医者、歯型を調査した歯科医、死体を安置所に運んだ市の職員、県外での火葬のために棺を運んだ消防の人たち、彼らの懸命な救助活動には本当に頭が下がります。 彼らの中には、家族や知り合いが亡くなった方が含まれているだけではなく、知り合いの遺体に遭遇した方たちも大勢います。 そんなことがあっても、それを表に出さないで、黙々と作業する姿には打たれます。 このルポではそれらの人々が全員主人公なのですが、あえて上げれば、民生委員をしていて、昔葬儀屋に努めていた千葉淳さんが主人公と思いました。 彼は、自ら希望して安置所の管理を行い、幾多の困難なことを成し遂げます。 また、ひょうきんな性格で、周りを明るくします。 遺体一体一体に名前で話しかけていることによって、家族だけではなく死者も慰められたと思います。 一番感動的だったのは、家族の希望により痛んで黒ずんでしまった老婦人に化粧をする場面です。 化粧をしているうちに、いつしか遺体の表情が和らぎ、口紅を引いた後は生前はどんなに美しかったことかと想像できるほどだったといいます。 ルポの中には善人ばかりが登場するわけではありません。 他のお寺の檀家の遺骨を預かると申し出るようなお寺もあります。 それらをひっくるめて、震災の出来事として忘れることがあってはならないと強く感じました。 これを読んでいて、映画化は難しいだろうなと思っていたのですが、作者のホームページを見たら、来年2月公開予定でした。 監督、君塚良一、キャストは主演の西田敏行や柳葉敏郎、緒形直人、酒井若菜など豪華キャストです。 題名は「遺体 明日への十日間」となっていて、第36回モントリオール映画祭で9月2日にワールドプレミア上映が行われたそうです。 原作を下敷きにしていることはもちろんですが、監督が実際に原作に登場している方々にあって話を聞いたことも盛り込まれているそうです。 公式サイト 石井光太著 遺体 震災、津波の果てに 新潮社 2011年10月25日発行  

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