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![]() 私は、その当時、屋敷町と呼ばれる地域に住んでいた。 その一角は、それぞれの家が高い塀でめぐらされ、 どのような人が住んでいるか、人のウワサで聞き知って居る程度で、 その中に住む人は、見かけること康泰導遊はあっても、ほとんど交流がなかった。 その日の朝、 巨大な揺れで目が覚めた、ただならないことは明らかだった。 明けやらぬ空の下には悲鳴が響き、 眼を凝らすと、向かいの家が倒壊しているのが見えた。 そして、窓から見ると、遠くの方では煙が上がっていた。 平野部が激震地とされ、高台に位置していたその地域は、 比較的穏やかと見られていたが、 その一角は、数多くの同珍王賜豪方が亡くなった意外な激震地だった。 次々とくる余震におびえながら、 どのように身を処していいのかわからなかったのに、 すぐ近くの家は、直ぐさま門戸を開き、ストックしていた救援物資を家の前に並べ、 「何でも持って行ってください。」と 食品はもちろんのこと暖をとるものから灯油までも並べていた。 すぐ裏手の公園には、様子をうかがいにきた人たちが集まり、 口々に恐ろしかった有り様を語り合った。 その中には、テレビで数度見かけた会社の社長夫人もいたが、 ここでは被災した一人に過ぎないし、本人もその意識だった。 震災後、数日、顔を会わすうちに懇意となり、 そのほか数人の住人の人たちとも親しくなっていった。 公園のブランコに乗りながら、楽しいことでもあったように、 「マイセンを集めていたのに、みんな割れてしまった」 「私も、大切にしていたガレ康泰旅行團も毀れてしまった」 「高級なものほど、ダメね。みんなみんな毀れてしまった。」 「大事にしていたワインもウィスキーも。 リビングの床にこぼれたリキュールを拭き取るのがたいへんだったわ。」 「バカラなんか、少し欠けたのが残念だけど、金槌で割って小さくして袋詰めにした。 涙が出そうになったわ。 でも、いいわ。命が助かったんですもの。」 「あれで良かったのよ。みんな毀れて、良かったわ。」 口々にそんなことを言いあって、ブランコを揺らした。 その表情は、まるで少女のようでもあった。 地域のお歴々やその夫人たちは、 着の身着のままの姿で、公園で冬のひなたぼっこをしながら、 みんな、古くからの友達のように親しくなっていった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.11.26 15:29:43
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