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カテゴリ:マスコミ
12th Oct
<大学のーと 「僕らは考えなければならない」> 「Production of News」のレクチャーで貰った John Pilger ‘Where are the Martha Gellhorns of Today’ “The Guardian Media Weekly, 4 Oct 2004” のコピーを訳したもの(一部)を書き出してみます。 (1)「Never believe anything until it officially denied(公式に否定するまで、何も信じるな)」 Claud Cockburn:アイルランド人のMuckraker(汚職などを暴く人)。 (2)豪人ジャーナリストWilfred Burchettは、戦後初にヒロシマを訪れたWesternジャーナリスト。 彼はDaily Expressに「I write this as a warning to the world(これは世界への警告である)」という予言的な見出しを送った。警告とは、占領軍当局が存在を否定していた放射能について。 Burchettは当局のみならず、他のジャーナリストからも非難されるも、勇敢に、自身で核の時代に隠された恐怖を暴露した。 Burchettの功績はジャーナリストとして偉大な役割を果たした。今、その役割は失われたのか? (3)馴れ合い(Collusion)の為の報酬: 名声、表彰、政府の研究会への参加招待、女王経由でTony(ブレア首相?)から渡されるみすぼらしい賞など (4)自由社会の中のCensorshipは、独裁国家のそれよりもはるかに洗練され、徹底されている。 なぜなら、公式の禁止が無い限り、不人気な考え方は沈黙させられるし、迷惑な考え方は闇のままにできるからだ。 (5)ジャーナリストとBroadcasters(アナウンサー・放送会社)は 「Priority(優先権)とFashion(流行)のinternalizing(主観化・内面化・抑圧)」と 「Powerの確立のPropriety(妥当性・作法)」という点から 歴史家や教師と何ら変わらない。 (6)世界で最も自由なメディアを立憲上(constitutionally)持っているアメリカ合衆国では、 普遍的な人道(universal humanity)の考え方が抑圧されることが常習行為(stand practice)になっている。 (7)英国議会が「キツネ狩り」なんていう重要でない投票を行い、キツネ狩り狂信者による「Security a Breach」についてジャーナリステックな憤慨を大々的に報道するのは、イラクの恐怖から目を逸らすこと以上の何者でもない。 (8)Rupert Murdochは「3年以内にグローバルメディア会社は3つだけになるだろう。そして、マードック帝国がそのうちの一つだ」と言った。 これは大げさだが、大げさ過ぎることは無い。 インターネットでは、主要な20のウェブサイトがFox(マードック)、Disney、AOL Time Warner、Viacomと一握りの巨大企業に所有され、たった14社がアメリカ人がオンラインで費やす60%の時間を占有している。 彼らのグローバルの野望は、知識を持ち、自由な考えをする市民ではなく、従順な顧客を生み出すことにある。 この道に我々を導こうとして、何度も繰り返している言葉は「Competition(競争)」と呼ばれる何かが含まれている。 だが、「デモクラシー」「改革」「自由市場」と同じく、この言葉を意味すべきものは本来持つべき意味とは違う。 すなわち、この「競争」とは「Ownership(所有権)と思考の独占」を意味する。 (9)BBCの役割:「公的所有の放送局としての役割」と「多国籍ビジネスとしての役割」(50億ドル以上の収入) 英国人(Britons)が家でメインのBBCを見るよりも、米国人がBBCの国際放送を見るほうが多い。 マードックや上り調子のメディアバロン(Media Baron)が長い間切望してきたのは、 BBCが解体し、民営化され、大量の市場占有率を自分たちに譲る渡すことである。 (10)「第五のEstate」(Ignacio Ramonet(Le Mondeの外交関係の編集者)) :メディアの単一化されたニュース(Mono-News)とモノカルチャーを監視し、公の問題にする役割。 (11)我々はHonourable Exception(栄光ある例外)の新世代を必要としている。 (12)上からではなく、下から変えよう。(from the ground up, not from the top) (13)ジャーナリズムの最高の伝統は変わることがない。 それは「the public has every right to demand their return」ということである。 どうです?何か気になる内容はありませんでした? 僕は(1)と(8)が気になりました。 (1)の「公式に否定するまで、何も信じるな」って、かなり的を得てると思います。 それに元来、一般的に「正しさを証明する」よりも「正しくないことを証明する」方が難しいですしね。 (8)「彼らのグローバルの野望は、知識を持ち、自由な考えをする市民ではなく、従順な顧客を生み出すことにある」って、すごく恐ろしい野望だと思いました。 あながち大げさじゃないと思いますよ。 事実、我々の多くが、「デモクラシー」「改革」「自由市場」というアメリカメディアが「素晴らしい」と掲げてきたものを肯定的に受け止めています。 本来の意味とかけ離れてアメリカが使っていたとしても。 だから、僕らは「考える市民」にならないといけないと思います。 実は、ちょっと変えようと思っていた僕の自己紹介文でしたが、 まだこのままにしておこう、と決めました。 <哲学な言葉 市民の役割> 今日は前述の内容と関連する哲学な言葉を。 政治のこの腐敗は国家の体制を変革することのみによっては、癒されない。 この腐敗は、国家の実質である市民各自の精神の浄化によってしか、癒されないのだ。 ―プラトン (岩田靖夫ほか『西洋思想のあゆみ-ロゴスの諸相』有斐閣、2001年) 僕は「精神の浄化」とかは言うつもりは皆目ありませんが、 「国家の実質である市民各自」が考える力を持っていくのは重要だと思いますね。 じゃないと、ほら。誰かの情報に操られてるかもしれませんよ。 注※ 元来「この腐敗」とは、師ソクラテスを死刑にしたアテナイの民主主義のこと。プラトンはこれを「政治の崩壊だ」と憤慨しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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