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「人生は生きる価値がある」
正論だ。 僕もそう思うし、疑問をはさもうとしたことも無かった。 「つらいことがあっても、きっと良いことがある。 生きるべきだ。」 ずっとそう思ってきた。 だが、「海を飛ぶ夢」を見て少し揺らいだ。 誤解して欲しくないのだが、映画を見て「死にたい」と思った訳ではない。 むしろ「生きたい」という気持ちは強まったと言っても好い。 ただ、 果たして、どんな状態であれ、「人は生きるべきだ」と、“言って”好いのか? という事を考えさせられたのである。 スペイン映画「海を飛ぶ夢」は尊厳死をテーマに扱っている。 実話を元にした話だ。 19歳の頃に、海で起きた事故。 それから、体が満足に動かずに、寝たきりになっている老人ラモン・サンペドロ。 家族は、彼に献身的な介護をしている。 だが、彼にとってはそれが逆につらく感じていた。 助けが無いと何もできない。 そのことが、彼を「尊厳死」へと駆り立てた。 しかし、法の壁がそこにあった。 尊厳死は、スペインの法律で認められていない。 それに協力してしまえば、罪となる。 自殺さえできない彼は、弁護士の協力のもとに法律と戦いながら、 「尊厳をもって死ぬこと」を切望していた。 映画の中で、ラモンを説得した神父が居た。 「人生は生きる価値がある」「生きる意味がある」 自身も四肢が不自由な神父がラモンに語る。 だが、その言葉は届かなかった。 本来、この神父の言葉こそが映画のテーマとなることが多いだろう。 共感を持って受け入れる事ができるはずの言葉は、この神父の言葉のはずだ。 だが、この映画の中心となるラモンは、その言葉を跳ね除ける。 「生きる為に死にたい」 逃げる自由さえ無い彼が選択したのは、死なのだ。 見ていて、心苦しいのは、家族や彼を取り囲む人たちの優しさだ。 彼を思うことは、彼の死を望むことになる。 彼の気持ちを思いやることは、彼を死へと導くことになる。 困惑した愛情の矢印。 「自分が、彼の家族だったならば?」 「彼の友人だったならば?」 今、この場所からは、答えが出せそうに無い。 この映画を見て、感じたこと。 それは、「“生”は強制すべきか?」ということだ。 現代は、「命の大切さ」を、腐るほど強調されている時代だと思う。 だが、その「正論」は正しいのか? この映画を友人にも薦めた。 頭の中を、色んな考えがグルングルンしたと言う。 僕も同じだ。 正論が覆るからだろう。 書きながらも、筆が定まっていないのを感じている。 生きる素晴らしさ、その価値は、強制されるモノではない。 自分で感じ取るものの筈だ。 この映画は決して、あらゆる死を肯定していない。 むしろ、強烈なほどの「生」を感じさせてくれた。 映画を見た帰り道、綺麗に咲いている花を見た。 彼ほどの痛切さを持って死を望む男に、「生きろ」とは言えないかもしれない。 「それでも、花が咲いていたよ」と言う事くらいしかできないかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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