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世の中、「正義対悪」とは限らない。
映画『ターミナル』を見た。 飛行機での移動中、祖国で内戦が起こり、「無国籍」となった男の話だ。 「無国籍」であるがゆえ、入国を許されず、空港から出ることもできない。 「法の隙間」に入り込んでしまった不運な男のドラマだ。 (とはいえ、「無国籍」自体は、日本だけでなく、世界中に存在するテーマだ。 『アンネの日記』のアンネ・フランクも無国籍である) 入国を望む主人公は「思い」を、 入国を拒む敵役は「法」を、それぞれ重んじる。 互いは譲れないものを持っているのである。 ドラマ自体は主人公に視点で進む。 それゆえ、入国を拒む所長を見ていると憤る。 「そんな拒まなくても、例外を認めてやったらいいじゃないか」 そんな気持ちさえする。 だが、役人が簡単に例外を認めてしまえば、法制度が瓦解しかねない。 役人は情にほだされかけても、心を鬼にしなくてはならない。 ま、そこはハリウッド。 そのような役人としての「使命感」よりも「出世欲」を前面に出すことで、 敵(かたき)役が「悪」になっている。 そのため、解りやすい「正義対悪」の構図となる。 お陰で、主人公に感情移入しやすい。 だけれども、僕はそうはいかない。 以前日記に書いたように、僕は演劇で「敵(かたき)役」を演じた。 それゆえ、所長の気持ちも存分に解る(と思う)。 所長も、僕が演じた役も、自分が「悪」だとは決して思っていない。 自分の中の「正義」を実現しようとしているのみだ。 (映画の所長の場合は、「悪」と演じられがちな「出世欲」に隠れているかもしれないが) 僕が演じた役の場合、「宇宙の平和のために、地球を滅ぼさねばならない」という使命、そして正義の為に戦った(僕の裏設定では、故郷の星に残してきた家族の為でもあったが)。 立場上、地球の人間には同情心を持つわけにはいかなかった。 地球を滅ぼすなんて、 地球人から見たら「絶対悪」であっても、 彼からすれば「絶対的な正義」なのである。 見方を変えると正しさは裏返る。 「何か‘だけ’が正しい」ということは、むしろ稀だと思う。 だから、 世界のいざこざの多くは、相手の「正しさ」に見向きもしないことだと、僕のような偽善者は思う。 相手に譲れ、と。 実際にどうすれば好いかという提案さえできないままに。 譲れないからこその「正義」であるのに。 でも。 それでも思う。 「仕方ない」で好いのか、と。 せめて、自分の周りからでも、と。 10年後、100年後に目を向けて、と。 エドワード・ザイードはインタビューでこう言った。 「夢見るだけでは不十分です。 夢はむしろ『別の世界』のものですから。 しかし、あらゆる状況には、どれほど強力に支配されていようとも、必ず別の道があるものです。 確立されたものや現状ではなく、別の道について考えるように努め、 現在の状況が凍結したものだなどと思い込まないようにしなければなりません」 「『状況は悪い、ゆえにそれを知的に分析し、その分析を踏まえたうえで、 状況を変えたいという願望や可能性を信じて前向きに新たな動きを構築していこう』 というでなければなりません。」 (訳 中野真紀子『ペンと剣』クレイン、1998年) そうありたいなぁ( ´_ゝ`) ----------------------------------------------------------------------------- 無国籍について。 卒論で「在日外国人(コリアンに限定しない形で)」をテーマに決めました。 んな訳で読んだ「無国籍」(陳天璽、新潮社、2005年)はええ感じの本でした。 日本に、世界に、無国籍の人が存在するのに驚かされましたよ。 データとしては知ってましたが、生活は知りませんでしたので。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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