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2005年02月24日
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誰も知らない

<誰も知らない・公式HP>


誰も知らない

誰も気づかない

ちいさな命

ちいさな出来事



手をつなごうよ

寄り添ってゆこうよ

生きのこった子どもたち

いのちのような子どもたち







「人間は社会的な動物である」


家から出て、学校へ行き、友達を作り、社会性を獲得して、大人になってゆく。

そこに、「家庭」というシェルターがある。

そこから出て、そこに戻る必要があるだろう。

しかしいつまでも、シェルターにいる訳にはいかない。

また、帰るべき「家庭」が無くなってしまうのも、途方にくれてしまう話である。
 


人間にとっての「社会性」という問題。

「家庭」と「引きこもり」の問題。

僕たちはどう考えてゆけばいいのだろう?



「障害」という言葉に、とても引っかかってしまう。

小学校の頃「障害物競走」というものがあった。

走路に種々の障害物を置き、それらを越えて速さを競う競技。

(オリンピックでは、距離3000メートルの間に28個の障害物と7個の水濠(すいごう)を設置して行うそうだ。)

跳び箱や一本橋や網くぐりなどを乗り越えて、ゴールを目指す。

それはヒトが生きることにも似ているのだろうか?



家族であれば、子どもを励まし、子どもと共に学ぶ姿勢があったら良いだろうな。

家族であれば、当たり前のこととして、誕生日にはお祝いをして、互いのことについて感心を持っていて、いつだってちゃんと見ていてあげたいな。

家族であれば、共に手を取り合い、共に幸福を分かち合うという気持ちがあったらいいな。

・・・そんな愛に満ちた家なら良いね。



「家庭に愛が必要であるように、社会にも愛が必要である。
愛のない家庭。愛のない社会。愛のない世界に住むものは不幸である。」







自分の不幸を知ることだ。

誰にも優しく出来ない。

誰にも与えることが出来ない。

誰にも挨拶することができない。

誰の誕生日も祝えない。

そんな自分の不幸を知ることだ。











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Last updated  2005年02月26日 06時33分36秒
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