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テーマ:テニス(3381)
カテゴリ:コーチとしての考え方
1974年6月のある日
新聞に、沖縄の浦添に、初の民間コートがオープンと 書いてあるのを見つけ、探しにいった、 この日は、嵐が近づいていて風が強く、時折豪雨が! コートに着くと、管理人さんが、ネットや審判台を 一人で片付けようとしてた、ヒーローを見て手招き、 『片付けるのを手伝ってくれ!』って!『いいですよ!』 黙々と2人で片付け、2時間ほどで終わったとたんに豪雨、 クラブハウスで避難してると、『テニスする?』って、 『お願いします、』いくら持ってる?って聞かれて 財布を見たら、1万円あったので出した、 すると、ダンロップのマックスフライと言うラケットに ダンロップのウエアー、シャツ、パンツ、リストバンド ソックス、シューズ、バック、グリップテープを差し出し、 『あげる、その代わり、クラブの手伝いをして頂戴』って言われた、 確か?入会金3万円、月会費6千円ぐらいだったと思うけど それも、無料となった、今まで壁打ちしかやった事がないのに、 いきなりテニスデビューでした、 その頃は、ダンロップしか知らなかったけど、 時々、沖縄にテニスを教えに来る川崎ラケットの為藤さんと仲良くなり カワサキラケットや、ディフィーを着るようになった、 沖縄のヒットユニオンの社員さんと宜野湾にテニスコートを作ったのを 切っ掛けに、フレッドペリーやウイルソンのウエアーを着るようになり、 ボルグが最絶頂期にはフィラを着けたが、シャツが2万8千円もした! マッケンローやサバティーニの時代になるとセルジオタッキーニ、 クリスエバートのファッションセンスでエレッセが飛ぶように売れた 次にシューズだけだったナイキが、ウエアーも販売、続々とプロが契約 グラフやエドバーグの時代は、アディダスが3本線だけからお洒落になり ヨネックスも、伊達モデルからようやくセンスが良くなった、 この頃、沖縄で誰も着てないセントクリストファーを着ると気持ちよかった 次に、プリンスカップ主催を切っ掛けにプリンスのウエアー、 ヒーロー杯のスポンサーがヘッドに変わり、ヘッドのウエアー またまた、誰も着ないウエアーと思い、ディアドラを着てた、 サッカーが中心だったから、ウエアーも2アイティムしか無かったけど 近頃は、凄い人気に育ってきたね、 2007年から、ヒーロー杯のスポンサーがヘッドよりダンロップに変わり それからは、ダンロップオンリー、一番最初に戻って来ました、 ファッションも、メーカーも、時代と共に移り変わっていく ラケットもテニスのフォームも、時代と共に進化していってるんだよね、 だから、常に受け入れる心を持ってないと、時代についていけなくなるね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年05月22日 01時53分44秒
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