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Her's(ハーズ)奮闘記!

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2007年06月21日
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カテゴリ:主にオシゴト

       自分はいったい、人にどう思われているのか !?


ご無沙汰・・・し過ぎてしまいました しょんぼり

前回の更新から今日まで、あまりに色々ありすぎて…

更新できない理由は、もちろん【多忙】一番はこれに尽きるのですが

それ以外に、大きく2つあります。

ひとつは、“書くこと・書きたいことがない時”。もちろん、書けないです わからん

そしてもうひとつは、“書きたいことが、多すぎる時”。

その時すぐ書ければ、問題ないのですが、時間が無くて先送りになる。

すると、書きたいような出来事が次々に起こって、どんどんたまっていって…

結局、書けなくなってしまうのです。

ダメですねぇ…反省してます。


ところで、タイトルの【価値観】。

今日は、そのことについて、少しお話してみようと思います。


桃松は、セラピストです。

【理学療法士】という資格を持っています。いわゆる【リハビリの先生】です。

そう、フツーに病院勤務していると、たいがい『先生』と呼ばれる職種です。

リンパ浮腫の治療に関わるセラピストは、今の日本ではおそらく

ナース=看護師がもっとも多いと思われます。

ナースは、フツー『先生』と呼ばれることはあまり無い?職種であり

リンパ浮腫の治療そのものも、病院内でナースの方が

“ボランティア”的に行っていることが非常に多いので

そういった施設内では、おそらくセラピストの方も

『○○さん』と呼ばれているケースが多いのかな?と想像しています(違ったら、ごめんなさい)。


さて、桃松自身は、クライアントの方々からどう呼ばれているのか??

そうですね、ほとんどが『先生』と呼んで下さいますが

何人かの方からは『さん』付けで呼ばれます。

これは、桃松のプライドにとって、非常に大切なことなのです。

でも、誤解しないで下さいね。

桃松にとって、どのように呼ばれるか、それは呼ぶ方の【価値観】だと捉えているのです。

慣習的に『先生』と言われる方が、たぶん大多数なのだろうと思います。

もちろん、桃松は『先生』と呼ばれることが当たり前だとは思っていませんし

『先生』と呼んで下さい、と言ったことも・思ったこともありません。

但し、『先生』と呼ばれるからには、それだけのことはしなくてはいけない

その責任の重さだけは、いつも肝に銘じていますが。



昔、桃松がまだ学生で、臨床実習に出ていた頃のことです。

当時の桃松は、思い出しても恥ずかしいぐらい、ちゃらんぽらんな学生でした。

担当させて頂いていたのは3名。

頸髄損傷の若い男性、脳卒中片麻痺の年配の婦人、両下肢切断の中年男性。

その頃は、己の無責任さに自覚さえ出来ないほど、いい加減でした…

2ヶ月にわたる実習で、目的意識も大して持たず

とにかく、クリアしなくては、そんな風にしか考えていませんでした。

科目の好き嫌いの激しかった桃松は、“切断”と“義肢装具(いわゆる義手や義足)”は

特に苦手な科目で、実習開始当初は、本当に困りました。

スーパーバイザーと言って、学生を監督・指導して下さる教官のような立場があり

その先生(サブ・バイザー)との相性が良くなく

生来の楽天家であるにもかかわらず、ノイローゼ気味になったこともあったほどです。


そんな桃松を(少しだけ、ですが)変えたのは、その切断の患者様との関わりでした。

臨床実習生は、患者様からは“学生さん”と呼ばれることが多く

桃松もやはり、担当させて頂いている方からも・そうでない方からも

“学生さん”と呼ばれていました。

もちろん、その切断患者様も、“学生さん”と呼んでおられました。


いい加減だった桃松の姿勢は、指導して下さる先生方からも当然不評でした。

桃松を担当して下さっていた先生だけが、桃松を見込んで、守って下さいました。

そのスーパーバイザーの先生との対話や、他の患者様との触れ合いの中で

詳しくは割愛しますが…

桃松は、自分なりに、“目覚めました”。

貴重な時間と・自らを提供して下さって、勉強に協力して下さっている

そんな患者様に対して、己の姿勢は、いったいどうなのか。

…頭をガツンとやられた思いでした。

それに気付かされた時から、桃松は頑張りました。

今の頑張りからすれば、本当にささやかなものだったかも知れません。

でも、おそらく、桃松の変化は、周囲にも明らかに映っていたのだと思います。


ある時、その切断患者様から、不意に声をかけられました。

            『 先 生 』

耳を疑いました。そして、泣きそうになりました。

この時初めて、この患者様は、桃松のことを【先生】と認めて下さったのだと、そう実感し

たぶんこれまでで初めて【責任】というものを意識した瞬間でした。


その時、思ったのです。

自分を『先生』と呼んで下さるかどうかは、その方が『先生』と認めて下さっているかどうかなのだと。



随分と長くなってしまいましたが…

そういう経験から、今の桃松にとってはむしろ

『さん』付けで呼ばれる方が、いつか自分から『先生』と呼んで下さるようになることが

大いなる“野望”(笑)だったりするのです。

その時は、慣習的なものではなく、その方自身が“認めて”下さった時に他ならないのですから。


あの切断患者様との出会いが無ければ、もしかすると、今の桃松も無かったのかも…

そう思うと、あの方にもし再びお会いできるなら

心からの感謝の気持ちを伝えたい、そう思わずにはいられません。

でも…

あの方はおそらく、今はもうご存命ではないのではないでしょうか…

もし、あの方が、どこか遠くで桃松のことを見て下さっているなら

胸を張って、自信を持って、まっすぐ進んでいる姿を見て頂きたいです。

その時は…もう一度『先生』と呼んで下さいますか?









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最終更新日  2007年06月22日 00時24分21秒
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