楽天・日記 by はやし浩司

2009/02/08(日)19:33

●失敗危険度V-2

育児問題(153)

やめるということは、クビ切りだ! 去り際の美学(失敗危険度★) ●リセット症候群  この世の中、人との出会いは、意外と簡単。その気になれば、それこそ掃いて捨てるほど(失礼!)ある。携帯電話やインターネットの普及が、その背景にある。しかし問題は別れるときだ。別れるときに、その人の真価がためされる。  もっとも今は、その別れ方も電子化している。ちょうどパソコンのスイッチを消すかのように、まったくゼロに戻して別れてしまう。こういった別れ方を「リセット症候群」と呼ぶ人もいる。別れ方そのものが、サバサバしている。たとえば卒業式にしても、昔は皆が泣いた。先生も生徒も、そして親たちも泣いた。しかし今はそれがすっかりさま変わりした。  もっともドライといえばドライなのが、ブラジルからやってきた日系人家族だそうだ(K小学校校長談)。ある日突然学校へやってきて子どもを入学させる。そしてある日突然、同じようにいなくなる、と。日本人もドライになったとはいえ、まだそこまでドライではない。ないが、それに近い状態になりつつある。 ●「怒りで手が震えたよ」  私と二〇年来の友人に、学習塾を経営しているF君がいる。ちょうど同じ年齢で、あれこれ情報をもらっている。そのF君は温厚な人物だが、そんなF君でも、しばしば憤まんやるかたなしといったふうに電話をかけてくることがある。いわく、「月末の最後の最後の授業が終わって、さようならとあいさつをしたとたん、生徒から紙切れを渡された。見ると、『今日でやめます』と母親の字でメモ書き。怒りで手が震えたよ」と。  この世界の外の人にはわからないかもしれないが、「やめる」という話は、塾の教師にとっては、クビ切り以外の何ものでもない。そういう話をメモですまそうとする母親たちの心理が、F君には理解できない。生まじめな男だけに、ショックも大きいのだろう。いや、私にも似たような経験はあるが、しかしこの世界はそういう世界だと割り切ってつきあっている。いちいち目くじらを立てていたら、精神がもたない。F君もそう言っているが、しかしこちら側にもこちら側のやり方がある。そういうふうにやめた生徒は、一切、アフターケアはしない。それはまさに人間関係のリセット。ゼロにする。メールがこようが、電話がかかってこようが、そういったものには一切、答えない。 ●皆はどうなのか?  ……と考えて、ふと今、医院を経営するドクターたちのことが頭を横切った。考えてみればドクターたちも、同じ立場ではないか。患者である私たちは、必要なときに医院へ行き、必要でなければ、たとえ「また来い」と言われていても、行かない。あのドクターたちは、私のような患者のことをどう思っているのだろうか。怒っているのだろうか、それとも平気なのだろうか。もっともドクターと塾の教師は、立場がまったく違う。ドクターは、その身分や収入がしっかりと公的に保証されている。しかし塾の教師はそうでない。 ……と考えて、今度は理容店を経営するいとこのことを思い浮かべた。客とはいいながら、その客ほど、浮気な客はいない。毎月定期的に来るともかぎらないし、メモどころか、何も連絡しないまま、別の店に乗りかえていくことだってある。いくらそれまでていねいに散髪していたとしても、だ。そのいとこは、そういう客をどう思うのだろうか。怒っているのだろうか、それとも平気なのだろうか。 ●塾は人間関係で決まる  考えてみれば、塾の教師たちがどう感じようとも、子どもを塾へやるというのは、親たちからすれば、医院や理容店へ足を運ぶようなものかもしれない。「入るのも親の自由。やめるのも親の自由」と。となると、F君のように、怒るほうがおかしいということになる。が、教育は病気や商売とは違う。どこか違う。  いくら「塾」といっても、そこは教師と生徒の人間関係で成りたつ。この「関係」があるため、医院や理容店とは、違って当然。また「やめる」という感覚が、これまた違って当然。いやいやそういうふうに「違う」と思うこと自体、手前ミソかもしれない。医院のドクターだって怒っているかもしれない。理容店のいとこだって怒っているかもしれない。怒っていても、皆、平静を装っているだけかもしれない。 ●非常識な別れ方  で、非常識な別れ方を列挙してみる。私の経験から……。  私に、「今度、BW(私の幼児教室)から、K式幼児教室に移ろうと思いますが、先生、あのK式幼児教室をどう思いますか?」と聞いてきた母親がいた。私ははじめ、冗談を言っているのかと思ったが、その母親は本気だった。  別の教室にすでに入会届けを出したあと、(そういう情報はあらゆるところからすぐ入ってくるが……)、私に「先生、来月からどうしたらよいか、一度相談にのってくださいな」と言ってきた母親がいた。  「私は息子に、何度もBW(私の教室名)をやめるように言っているのですが、どうしてもいやだと言っています。先生のほうからもやめるように言ってくださいませんか」と電話で言ってきた母親もいた。  反対にある日突然、道路ですれ違いざま、「今週でBWをやめます」と言っておきながら、その一か月後、また電話がかかってきて、「来週からまた行きますから」と言ってきた母親もいた。 ●美しく別れる  こうした母親たちからは、私は神様に見えるらしい。喜んでいいのか悪いのか……。どんなことをしても、また言っても、私は許すと思っているらしい。しかし私とて、生身の人間。生きる誇りも高い。だからこうした母親たちとは、その後、交友を再開したということはない。(だからこうしてここに書いているのだが……。)またこれから先も、何らかのかかわりをもつということもない。(だからこうしてここに書いているのだが……。)  何ともきわどい話を書いてしまったが、こと子どもの教育については、いかに美しく分かれるかについて、親はもう少し慎重であってもよいのではないか。塾のみならず、今では教育そのものが自動販売機になりつつある。「お金を入れれば、だれでも買える」と。しかしこうしたドライな見方は、結局は教育そのものまでドライにする。そしてそれは結局は、子ども自身をドライにし、人間関係までドライにする。そうなればなったで、さらに結局は、子ども自身が何か大切なものを失うことになる。

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