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お散歩記事が溜まっています。
画像の整理に時間がかかるため、それなりの時間が空いた時では出来ず、ようやくです。 さて、この日は三連休の初日。 役行者霊蹟札所となっている朝護孫子寺がいちばんの目的。 が、すんなりとそこには辿り着かせてもらえず。 人生とはそんなもの(笑)。 「近鉄ケーブルカー廃線跡」が私のトラップ。 これが朝護孫子寺まで続いています。 そりゃ歩かねばならないでしょう、という訳で駅からバスに乗らないでここを歩いた訳です(笑)。 この跡は駅から真っすぐ本当に直線(笑)。 おなじみの虎さんがお目見え。 後方に見える本堂が懸造りの舞台となっているのですが、木がは茂っているは、張り出しが強いはで、懸造りの全景を捉えることができませんでした。 これが懸造りの柱部分を写す精いっぱいの画像。 しかも柱はコンクリだし(笑)。 朝護孫子寺の宝物殿の受付で職員の方から色々と教えて頂きました。 ご存じの通り、こちらには国宝となっている「信貴山縁起絵巻」があります。 ①この絵巻で描かれている「東大寺の大仏」 この大仏は創建当時の大仏で現在記録されている唯一のものなのだそうです。 東大寺でも初代の大仏の画の記録が残っていないということ。 実際に見てきましたが、面長で大陸からの影響がそのままの大仏でした。 イメージ的には飛鳥寺の大仏に似ています。 ➁この絵巻で描かれている「猫」 文字としては800年代宇田天皇が猫を可愛がっていたという記述が記録として残っています。 しかし、絵画としてはこちらが最古のものとなっているとのこと。 可愛い首輪をしてもらった黒と白の猫でした。 この2点の絵としての記録が国宝となったのかしらと思った次第。 そしてこちらが、行者堂。 もちろん中には役行者がお祀りされていました。 この後、信貴山山頂の空鉢護法堂をお参りし、奥の院へ。 ここの奥の院ですが、山頂から下山し、広域農道を横切り、アスファルトで整備された民家のある道路をてくてくと歩くんですけどね、これ現在の道路やアスファルトを消して古代の場所を想像すると、信貴山から奥に入った深い谷間にあるんですよ。 今それなりに整備されているから「奥の院」のイメージからはほど遠い環境に見えるんですけど、決してそうではないんです。 ってかよくこの場所に開基したと思いましたよ。 実際に山頂から徒歩でここまで来たので、その感覚が分かるんですけど、恐らく車でここにお参りとなったら、なかなかそのような感覚を持つのは難しいかも知れません。 そして、奥の院から向かったのは、もう一つの目的地、「石床神社旧社地」。 標識はしっかりしたものなのに、その方向を振り向いたら、道が見えない超藪(笑)。 実は知っていたんです、そのことは。 他のブロガーの方々がそれで断念しているのを幾つかの記事で目にしましたので。 でも、実際にこの場で状況を確認しつつ、スマホのヤフー地図を見る限り、多く見積もっても藪は100m位かなと思ったので、藪漕ぎして突き進みました(笑)。 足元を必死で見つめながら藪漕ぎしたところ50m位で視界がいきなり開けて竹林の中。 そこからは道がはっきりと見えました。 因みに竹林も50m位。 後は舗装された道です。 藪漕ぎの部分を鑑みても遭難することはないかなと思います。 この周辺の人たちの産土神様として信仰されていたようです。 もちろん、社殿文化以前からの信仰ですので、鳥居から直接お参りします。 が、大正時代にここはこのまま残されたまま、近くの地にある消渇神社に合祀されます。 それがこちら。 現在の岩床神社です。 そして最後は烏土塚古墳。 こちらは県内では石舞台古墳に次ぐ2番目の大きさを誇る古墳だそうです。 案内に沿って階段を上るといきなり墳丘の上に出ます。 しかもシートがかかっている。 もしかすると、ここ何年かの度重なる豪雨で土がもろくなっているのかもしれません。 墳丘から今度は下る階段があります。 そこを下りると石室の入口。 内部は光らせてこれが限界↓ 平群地方の豪族のお墓であろうということでした。 石舞台古墳の次に大きいと言われながら、石舞台古墳とは扱いが大きく異なっていて、ちょっと寂しい気持ちにはなりました。 石舞台古墳とは異なり墳丘上に上がれるというのが大きな魅力だと思います。 ここからの光景が素敵なんです! そりゃお墓の場所に選ぶわと思ってしまいました。 ↓ というわけでこの日のお散歩は終了しました。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年07月25日 06時37分08秒
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