自分と縁あった人の人生が
突然終わってしまったことについて
今はまだ、この心の重さを感じていたいです。
いってしまった友人の為に
その人のことを思う時間を、まだしばらく取っていたい。
でも、これで時間が心を少しずつ軽くしてくれて
また元通りの生活に戻っていくのではなく
私の人生の中で、何かにしたいのです。
私の友だちの人生が、ともに歩んでいた人の人生が
先に終わってしまったのですから
ただ通り過ぎたくない、何かにしたい
という思いがあります。
そこで、このことで私が学んだことを考えてみました。
ひとつは、「最後かもしれない」ということ。
いま目の前にいる人と、会って、笑って、話をして
次また会えると、当たり前のように思っていても
それが最後になるということがあるのだと。
だから、私は今後、身の回りの人に対して
いつも、ありがとうとか、感謝、好意、
相手の素敵なところを見つけたとき、
いつもそういうことを、伝えるようにしようと。
毎回毎回、今生の別れというようにはいかないでしょうが
少なくとも、何か伝えられなかったと
悔いの残らないようにしようと、思いました。
もうひとつは、
私はまだ生きていて、もちろん明日死ぬかもしれないにしても
今はまだ時間をもらって生きていて
私の友人が見たくても見られなかったたくさんのものを
これからの人生で見ることができるのだろうから
その友人の分までとはおこがましいですが
自分のこの感性を二人分にするつもりで
いろんなものを見て、感じて、気付いていこう
世界で起こるいろんなこと、素敵なこと、
人の心の動きやあたたかいものたち
そういうものを、これからは二人分の感性を持ったつもりで
たくさん心を動かして、見ていこう、と思いました。
今日、これを私の中で「感性二倍の法則」と名付けました。
もちろん、その友人はもう旅立った瞬間に
別の生命に生まれ変わっているかもしれないし
そしたら、私が二人分なんて言っても
そんなことしなくていいのかもしれませんね。
でも、それでもいいんですよ。
袖すり合うも他生の縁、
ということは、この世で同じ年に同じ会社に就職し
友だちであったということは、もうものすごい縁なのですから
きっとまたその友人が生まれ変わってきたとしても
またきっと近くにきて会えるのかも知れません。
そのときに、あなたの人生が終わったことを
何かにしようと、上ふたつのことを決めて、少し人生を変えた
私のことを見てください。
私はまだ生きているから、あなたが生まれ変わってきたら
ちょっと歳が違うかも知れませんが
また友だちになって、いろいろなことを話せるといいですね。
あなたが最後に私にくれたアドバイスも
今は遺言のようになってしまいましたが
まぁがんばってみますから、どうぞ見ていて
できた日には、私の心にいつまでも焼き付いている
その笑顔を見せて、そう、それでいいんだよって言ってね。