中国人も感じることは同じ・・・
前に手伝っていたお店の中国人の友人に連絡した。。「みんな無事?お店は大丈夫だった?」「あ、hicafeさん・・・はい、みんな大丈夫です。。昨日は恐かったです。日本語で書いてある所は、新聞で全部隠しました・・・ほんと、、恐かったです・・・たくさんの人が来ました・・・たくさん壊されたところもあります・・・」中国人の友人も、感じていることは同じだった。ただただ「恐かった」と。。。これを聞いて、とても切なくなります。デモが目的のあるデモではなく、ただの破壊行為に変わってしまったこと。日本語と見れば、無差別的に破壊されていたこと。今回のデモについて、同じ中国人でも、目の当たりにした者であれば、あれは行き過ぎた行為であることは理解できるのかもしれない。特に、破壊される側である被害者の場合は。日本人だから・・・ではなく、中国人でも同じ状況だった。。人を殴れば、手が痛い。それ以上に、心が痛い。少しでも中身のあるケンカをしたことがある人間ならわかってもらえるかもしれないが、この痛みを、その全てを背負うことができる時に、初めて相手を殴ることができるのではないかと思う。(責任を持つから殴ってもいいとも思わないが。。)何かをする時には、必ずついてまわる個としての責任。それは集団の中でも存在している必要がある。だが、今回のデモのように、集団になれば、そんな個は消えてしまうことのほうが多いかもしれない。ひとたび中に入ってしまえば、個が個でなくなり、背負うべき責任は容易に他へと転嫁され、すりかえられていく・・・そうならない人間、、個であり、集団の中の個でありたいと思う。