|
カテゴリ:カテゴリ未分類
あまり知られていないことですが、高山別院のご本尊は豊臣秀吉によって下付けされたものだそうです。
織田信長と豊臣秀吉の生きた戦国時代は、完全に全国統一がなされるまで、あちらこちらで争いがたえませんでした。 当然、秀吉の家来だった、金森長近もその養子の可重(ありしげ)も、秀吉の命令で、全国各地を駆け巡っていました。 長近やや可重は、ほとんど高山にいなかったので、ある時、不思議に思って、長近に尋ねました。 「そちはいつもわしの傍ににいるが、国に帰らなくていいのか?」 長近は、 「私の国には優秀な部下がおります。それは、浄土真宗の連中です。」 と、答えたそうです。 城主の代わりに照連寺門徒に高山を守らせたことを、秀吉はたいそう感心し、褒美として照蓮寺に本尊を下付けしたそうです。 そのことは飛騨の歴史をまとめた『飛州志』に載っています。 確かに、高山の町を見てみると、お城の東側にお堀に見立てられた江名子川があり、その外側には、南から宗猷寺(臨済宗)・善応寺(曹洞宗)・法華寺(日蓮宗)・天照寺(浄土宗)・素玄寺(曹洞宗)・洞雲院(浄土宗)・大雄寺(浄土宗)・雲龍寺(曹洞宗)・久昌寺(曹洞宗)の寺院が配置されていますが、浄土真宗以外の寺院です。 逆に、浄土真宗の寺院は、江名子川の内側にあり、お堀の内側に位置しています。 そのようなことから、照蓮寺(現在の高山別院)を「高山城の四之丸」とする研究者の方もいます。 元禄8(1695)年に高山城が加賀藩によって破却されました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.08.07 14:45:52
コメント(0) | コメントを書く |