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カテゴリ:京都
梅便りにつられて、デジカメ持参で出かけて行きたいところは色々あるが、
休みの日でも、昼から出かける時間が少しでもずれてしまうと、ツイツイ近 くで交通の便のいいところ、それと梅の写真は、枝振りが良いからといって 木の全体を写してしまうと、花が白い点のようにつぶれた感じになってしま う時が多く、梅林の写真も、もう一つ梅の花の持つ独特の雰囲気が出ない、 余り、梅の木が沢山あっても同じ事、祇園白川の巽橋あたり、ここの川沿い には、ここをこよなく愛した、歌人、吉井勇さんの、古希を記念して建てら れた、「かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕の下を水の流るる」の句 碑の傍に枝垂れ梅が一本、それと料理屋さんの入り口の橋の袂に、枝振りの 良い白梅の古木が一本、それが両方ともほぼ満開と聞いていたので、そこへ 出かけることに。 阪急電車で河原町に出て、そこから東に向かい、川端通りを、数本道を北 へ、そして東へ一筋、そこから先が祇園の新橋、着いた時間が午後の3時、 どこの店にもまだ暖簾が上っていない、このあたりは京都で一番の夜の歓楽 街、狭い場所に、バー・クラブ・スナック・料理屋・割烹屋・フレンチの店 ・イタリアンの店・寿司屋・居酒屋など、いろんな飲食店が物凄い密度でひ しめき合っている場所、夜の暗さと、色とりどりのネオン、それなりの風情 があるが、昼間見ると、厚化粧の○○女の化粧がはげた趣、ごみが落ちてい たり、ゴミ箱を表に出しっぱなし、夜には人に決して見せない部分を、昼間 は夜とは逆にその部分を、まるで開けっぴろげに、曝け出していて、夜に見 るのと余りにも違い過ぎ、昼間に歩くのが厭になるような一角である、しか しこの祇園の新橋は又、別である、肌の手入れがよく行き届いた、素顔美人 を見るような気さえする。 夜の祇園の新橋あたりは、このあたりの中で、まるでそこだけが異空間の ように、ネオンは無く、両側に並ぶ、お茶屋さんや料理屋さん、その格子戸 や、格子窓や、暖簾の隙間からほんのりと漏れてくる、控えめな薄明かり、 夕方にお客さんを迎えるために打ち水がされた石畳、そして毎日きれいに掃 除、磨き上げられた、各店の黒い目の柱や格子戸や格子窓が、鈍く、深み帯 びて、落ち着いて光り輝き、この道だけはいつも人影がまばら、時折、この 道に響く舞妓さんや芸妓さんの履物の木の、カラン、コロンの乾いていなが ら、優しさのある足音、これさえ耳障りでなく、心地よく石畳に響き渡る、 別段このあたりのどこかの店に入るわけではなく、通り過ぎるだけでも、い かにも、しっとりとした、暖簾、格子戸、格子窓、そして2階の窓の目隠し に、ずらりと並べて吊り下げられた何枚もの簾、外からは一向に中の様子を 窺い知る事は出来ないが、雅な遊びごとをさりげなく内に秘めた京の夜の街、 それにぴったりの雰囲気。 最近は夜のこのあたりはトンとご無沙汰、以前も昼間にちょくちょく通っ ているが、昼間は単に急ぎ足で通り抜けるだけであったが、カメラを構えて キョロキョロというのは、滅多に無い、時間が時間だけに、どこの店もまだ 暖簾が上っていない、昼間もこのあたりにしては静かで、人通りも少ない、 どの店も、朝早くに道の掃除と打ち水、そのセイで道自体も綺麗、ゴミも落 ちていない、もちろん店の前にゴミバケツを出しっぱなしの店は一軒たりと も無い、モニターに写る画面を見ると、これぞまさに京美人の素顔、なんて 言いながらシャッターを、そしてその通りの角には舞妓さんや、芸妓さんが、 芸事の上達を願ってお参りする巽神社、そして映画のロケなどでお馴染みの、 白川に掛かる巽橋、目指す枝垂れ梅と、白梅の古木、その2本の木の傍では、 今や京都観光の若い女性に大人気の、疑似体験の舞妓さんが、記念撮影中、 場所が空くのをタバコを2本も続けて吸いながら、待っていてもこの時ばか りは苦にならない、本物の舞妓さんより可愛いなァとか、舞妓さんの白塗り は、年が若くないと、いくら美人でも、少しきついなァとか、自分勝手な独 り言、桜の時期はここもアマチュアカメラマンで混雑するが、梅の時期は空 いている、オレも梅をここで撮るのは初めての経験、思いっきり梅の花に近 付いて、バックに白川の風景、モニターでチェックすると、なかなか、エエ 雰囲気、白川の枝垂れ梅、白川の白梅、梅はやっぱりこの構図が一番や。 ■「今日の言葉」■ 「 子供の伸びる力を信じて導いて こそ子供は健全に成長する 」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 29, 2005 10:20:00 PM
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