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カテゴリ:ボクシング
プロボクサーの引退後の人生、世界チャンピオン、特にへビー級のチャンピ オンともなると、多額のファイトマネーが入ってくる、しかし生活が派手にな り、又いろんな慈善団体からの寄付の申し込み、見た事も、会った事も無い様 な遠い親戚が入れ替わ、り立ち代りやってきてお金の無心、瞬く間にお金を使 い果たし、犯罪を犯したり、麻薬に手を染めたり、用心棒に雇われ、出入りで 不慮の死を遂げたり、試合の後遺症で廃人同様になったり、悪いことで、元ボ クサーがとか、元チャンピオンがとかの肩書きがついた、新聞の記事になるよ うな事件を起したり、そういうことが決して少なくない。 しかし日本初の世界チャンピオン・白井義男選手のように、トレーナー兼マ ネージャーのカーン博士が、選手生活よりも遙かに長い引退後の人生に備えて、 彼のファイトマネーに手をつけることなくキチンと保管、そのために引退後の 人生を、ボクシング解説などをしながら、悠々自適で過ごしたり、最近ではカ シアス・内藤選手が、彼の後援者の力添えで、闘病中にも拘らず、自分の果た せなかった夢を門下生に託して、新しくボクシングジムを開設、このようにボ クシングジムのオーナー、あるいはトレーナー、解説者、タレントや俳優で、 ボクサーとしての現役の時以上に活躍する人も多くいるが、最近、99歳で亡 くなった、ドイツの元世界ヘビー級・チャンピオン、マックス・シュメリング、 彼もまた、引退後の人生を、選手時代の栄光よりもさらに輝かしい引退後の人 生を過ごした一人であった。 彼は第11代世界ヘビー級チャンピオン、第10代チャンピオンのジーン・ タニーがタイトルを返上して引退、その後ジャック・シャーキー(米)と王座 決定戦、4回反則勝ち、ロー・ブローでリングに倒れたまま王座を獲得、1度 の防衛だけでタイトルを失う、56勝(38K・O)10敗4分、これだけな ら極平凡な世界ヘビー級チャンピオンであったが、1936年6月19日、ニ ューヨークのヤンキースタジアムでの「ブラウン・ボンバー(褐色の爆撃機)」 と呼ばれ、後に世界ヘビー級のタイトルを獲得、そのタイトルを、途中2年間の 第2次世界大戦のための陸軍勤務があるが、25度連続防衛(22K・O)の輝 かしい記録を残したまま引退、歴代ヘビー級のチャンピオンの中で最強ともいわ れる、プロ入り3年目の連勝街道を驀進中のジョー・ルイスとドイツのブランデ ンブルグ出身のラインの槍騎兵と呼ばれていた、マックス・シュメリングが対戦、 この試合は単なるボクシングのヘビー級の試合ではなく、二人にとっては、オー バーな言い方になるが全世界を背中に背負った戦い、「ナチズム対自由主義の戦 い」でもあった。 人種差別のまだ激しい時代であったが、ヤンキース・スタジアムを埋め尽くし た白人をも含めた6万人の観客の全てがルイスの応援であった、しかし試合の結 果はシュメリングが強打で12回、K・O勝ちを収めた、アメリカ人にとっては 悪夢を見ているような試合であった、アメリカの有望な新鋭の黒人ボクサーが、 ドイツ人の元チャンピオンをリング上で叩きのめす、このシナリオが思い描かれ ていた、彼もある意味での、史上最大の「咬ませ犬」であった、その場に居合わ せた全ての観客の期待を裏切るこの劇的勝利も偉業ではあるが、ドイツ、第3帝 国の英雄として凱旋帰国、食事を共にする親しい間柄であったヒットラーは大い に喜び、ナチス自らが喧伝する「健全な肉体と自由」のモデルとして利用しよう としたのであるが、ナチズムを快く思わない彼は、断固としてナチズムの広告塔 になることを嫌い、拒否し、国の警告も無視してユダヤ人のトレーナーを雇用し たり、迫害が身近に迫った知り合いのユダヤ人をかくまったり、ナチスの入党を 拒否したり、徹底的にナチズムを拒み続けた、その結果、敵地効果要員として前 線送りにされてしまった。 屈辱的な敗北を喫したルイスはこの1戦の後に世界ヘビー級のチャンピオンに なり、1938年6月22日、場所は第1戦と同じく、ニューヨークのヤンキー ス・スタジアム、詰め掛けた観客7万人、この時も前回以上に、「ドイツ対アメ リカ」の構図が出来上がっていた、初回、両者機をうかがいあう中、30秒過ぎ にルイスが仕掛ける、早い右ストレート、ロープ際でボデイの連打、シュメリン グが身体を二つ折り、左右の連打で相手をグロッキー状態に、右をフォローして ダウンを奪う、立ち上がるが足元が定まらない、止めは左6発、右3発、ボディ とアゴに強打、再びダウン、麻痺した状態で、なおも立ち上がろうとするシュメ リング、レフリーはカウント8で、試合をストップ、1回2分4秒、ルイスの2 5度の防衛の中での最短K・Oタイム、これによりドイツの第3帝国の不敗神話 が崩壊、第2次世界大戦の行方を暗示するかのような1戦であった。 第1戦の劇的勝利後、ヒットラーのナチズムに組することなく、拒み、抵抗し 続けて、終戦を迎えることになるが、シュメリングは自身の本意でないにも拘ら ず、一時的にナチズムの宣伝に利用された事に、懺悔、贖罪の意味を込めた社会 福祉に尽くす人生を、一時40歳でリングにカムバックするが、もうすでに彼の 時代が終わっており、引退後、タバコ栽培、清涼飲料水販売で財を成し、その後 の約60年間の長きに亘って過ごし、天寿をまっとう、享年99歳。 彼はリング上で偉大であり、リング外でそれ以上に偉大なボクサーであった。 一方のジョー・ルイス、68勝(54K・O)3敗、世界ヘビー級のチャンピ オン在位12年、25連続防衛、輝かしい記録を残して、1948年、一度はチ ャンピオンのまま引退するが、拳一つで稼いだ巨万の富も、物欲のない性格と、 献金癖が重なって税金を滞納、財布はそこをついてしまい、1950年再びリン グに上がる、判定負け、その次にロッキー・マルシアノに、昔日の面影なく、悲 しいほど哀れな8回、K・O負け、この試合で完全にキャリアにピリオド、その 後事業に手を出すがことごとく失敗、莫大な借金を背負った不遇な晩年、ラスベ ガスのシーザース・パレスで車椅子に乗って接客係を務めていたこともあり、そ の後姿は、きらびやかなチャンピオン時代と余りにも対照的、見る人の涙を誘っ た、しかしそんな彼もアメリカの人たちには、彼のフェアーなスポーツマン精神、 「アメリカの鏡」と称され、愛され、親しまれ続けて波乱の生涯を閉じた、19 81年4月12日、享年70歳。 ■「今日の言葉」■ 「 先祖の徳と親の愛情は 自分の生きる土台となっている 」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 10, 2005 12:25:53 PM
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