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カテゴリ:京都
14日の宵々々山、20万人の人出、15日の宵々山、35万人の人出、
そして今日の宵山、しかも土曜日、早くからこの週末の京都の旅館やホテル も満員、例年に比べて旅行客の人も多く、多分今日の宵山は、人出の新記録 の更新になるだろう、今日は休み、午後から、兎に角、阪急電車で四条烏丸 へ、17日の巡行は長い間見ていないが、昼間は「鉾建て」、「曳き初め」、 それから、14日から16日の間に写真を撮りに出かけている、梅雨明け間 近の蒸し暑いにもかかわらず、こりもせず、地下の駅から地上に出ると、も う、すでに物凄い人の出、余計に暑い、汗がどっと流れ出す、犬の散歩道で はないが、歩く道順はいつも決まっている、ようし、今年は、例年は余り行 かないところにある、西の端の「油天神山」、「太子山」、東北の端にある 「保昌山」、北の端のある「役行者山」、「鈴鹿山」、この辺りの「山」を 観に行くことにしよう。 ■「油天神山(あぶらてんじんやま)」・油小路通綾小路下る■ 古く、町内の風早家に祀られていた天神像を勧請、ご神体は菅原道真、 「油天神」の「油」は「山」のある場所の通、「油小路」から来ている、 前掛・胴掛は雲龍紋の繻子地錦、平成7年、前掛「龍図錦織」、平成 13年、14年と胴掛「紅白梅」綴錦を新調。 ■「太子山(たいしやま)」・油小路仏光寺下る■ 聖徳太子を祀るのでこの名がある、聖徳太子が四天王寺建立の為に、 自ら山城国の山に入って杉の伐って良材を求められたという所伝に もとづき、他の「山」が「真木」に「松」を立てるのに対し、この 「山」だけが、唯一、「杉」を立てている、一昨年、見送「波濤に 飛龍文様」錦織を新調。 ■「保昌山(ほうしょうやま)」・東洞院松原上る■ 丹後守・平井保昌と和泉式部の恋物語の材を得た紋もの、保昌が 式部の求めによって紫寝殿の紅梅を手折って与え、恋を実らせたと いう故事による異質な「山」、縁結びの「山」とされ、縁談のお守 りを受ける人が、今も後をたたない、一昨年、見送り「福禄寿星図」 綴錦を新調。 ■「役行者山(えんのぎょうじゃやま)」・室町通り三条上る■ 修験道の祖・役行者小角(おづぬ)が大峰山と葛城山との間に石橋 を架けようと、一言主命(ひとことぬしのみこと)に石を運ばせた という伝説による、水引は綴錦の名人とうたわれた西村勘七の作に なる「唐子遊図」である、平成10年に前掛けを新調、祇園祭の 32の山鉾のうち、修験道にゆかりのある7つの山では、本山修験 宗総本山・聖護院(京都市左京区)の山伏たちが巡拝し、巡行の無 事と町内の安全を祈り 、巡行前日の恒例行事、山伏約30人が、 中京区六角通烏丸東入ルの六角堂を出発、ほら貝や錫杖(しゃく じょう)、数珠の音を山鉾町に響かせながら、浄妙、山伏、霰天神 (あられてんじん)、南観音、北観音、八幡の各山を順に巡拝し、 ご神体の前で般若心経や真言を唱え、最後のこの「役行者山」では、 問答のあと、読経のなかで護摩をたく採燈大護摩供(さいとうだい ごまく)が営まれる。 ■「鈴鹿山(すずかやま)」・烏丸通三条上る■ 延喜年間、伊勢の鈴鹿山に出て旅人を困らせていた悪鬼を鈴鹿権現、 即ち瀬織津姫が退治、人々の難を救ったという伝説のよるもの、金の 烏帽子に大長刀姿の女人がその権現である、平成元年に前掛けを、 平成12年に胴掛「桜図」綴織を、平成14年、胴掛け「紅葉図」 綴錦を新調。 さて、今日の昼間のこの暑さと、人、人、人、写真を撮りながら、ゆっく りと、汗が凄い、こんな日に限って、タオルを忘れてきた、ハンカチでは、 おっつかない、直ぐにズクズク、喉も渇く、「ビールが、良く冷えてますよ ォー」の売り子さんの声、飲んでも却って汗、分厚い底のスニーカーだが、 足の裏が暑くなってくる、夏場のゴルフのときの茶店でのかき氷、身体を冷 やすにはこれが一番、あるある売っている、しかし、一人の時、缶ビールは 飲めても、かき氷は食いにくい、クーラーの良く効いた喫茶店でもと思うが、 歩いているところは鉾町、しかも宵山の日、祭りの手伝いで休んでいるか、 店の前で、缶物の販売。 最近、デジカメの電池の調子が悪い、フルに充電しておいても直ぐに電池 が無くなる、電池のことを考えて、撮る時以外はモニターをオフ、それでも ダメだ、こういう機械物というやつ、オレが次にこれがほしいなァ、なんて 考え出すと、妙に、機械のヤツが気を悪くするのか、調子が悪くなる、もう 暫く機嫌よく動いてくれよォ~、主電源をオフにする、そしてタバコを一服、 その後に主電源を入れると、電池の残量インジケーターがフル充電状態、し かし、この後はそうは長持ちはしない、暑さの汗以外の別の汗も流れ出す、 昔、若い頃、宵山のひの、ベージュの綿のコットンスーツ、傍から見ると涼 しそうだが、着ている本人は結構、暑い、これを着て、長袖のシャツに、ク ロのニットタイ、この姿でも別にどうという事はなかった、それに比べれば、 今は半そでのTシャツ一枚、それでこの有様。 前の会社の近くで、昼食後のコーヒー、喫茶店で殆ど毎日ほど顔を合わせ ていた、京都造形大学の教授、この人は「京都新撰組同好会」の発起人の一 人、土方歳三、この会が出来たのが昭和51年(1976年)、毎年、宵山 の日になると、池田屋襲撃のときと同じ格好をして、壬生寺を出発して、四 条通を八坂神社まで、約20名ほどの隊士を引き連れて、練り歩く、設立の 頃は若かったが、オレより随分と年下だが、もう今はそこそこの歳、着物を 着て、胴着をつけて、その上に新撰組の羽織、この暑さでは、きついだろう な、以前に、「先生、こんなアホナコト、いつまでやりますネン」、鼻髭を ぴくぴくさせて、ニッコリ笑いながら、「アホは、直らんやろなァ~」、 「ウン、ウン、たしかにィ~」。 ■「京都 新撰組同好会」■ http://www.mediawars.ne.jp/~shinsen1/ ■「今日の言葉」■ 「 良いと思う事でも人に 押し付けるのは我が儘である 」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 29, 2005 10:29:19 PM
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