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お酒の話は書いても甘いものの話は書かないが、実のところ隠れ 甘党でもある、お酒を飲んだ後に酔い醒ましに熱いぜんざいという 口である、こういうとお酒好きの人は、「そんな、馬鹿な」、とい われるかも知れないが、お酒を飲んだ後に無性に甘いものが食べた くなる、それもぜんざいである、そしてぜんざいの後に口直しにま たビールである、京都言うと和菓子である、京都の人は和菓子だけ ではないが、どこそこの店のあれ、老舗和菓子店のこのお菓子、ベ ートーベンやルイ・アームストロングをけなし憎いのとよく似てい て、それは旨くない、嫌いだと言いにくい所がある、例えば法事の 時などのそれぞれがお供えに和菓子、それぞれの老舗の和菓子、法 事が終わってお供えのお菓子をそれぞれに別けて家に持ち帰る、こ れらを食べる順番は、オレはまず小豆の粒餡の和菓子、最中や三笠 があればまずそれから、決まって一番最後になるお菓子がある、中 に餡などが入っているわけではない、約1センチくらいの厚さに、 表面は焼いたように、ほんの少しケシの実がふりかけてある、四角 く切ってあるだけである、最後のほうに一切れだけ口に入れる、決 まったように、「久し振りやなァ~」、といって食べ始める、そし て食べた後でいつでも、「中途半端な歯ごたえやなァ~、中途半端 な甘さやなァ~」、「まだ残っているよ」、「もういいよ、お前食 え」。 余り上品な和菓子とはいえ無いが、一見太鼓饅頭に見える、(御 座候といったほうがわかりやすいか)、形はそっくり同じ、丸いく ぼみに皮になるものを流し込み、餡を入れて、ひっくり返す、これ は太鼓饅頭だが、平らな鉄板に皮を焼く、丸が2つに細長い帯を1 本、2つの丸は底と上の部分、底の丸に、細長い帯状を輪にして、 底の部分に立てる、そこへ小豆の粒餡を入れて、もう一つの丸で蓋 をする、出来上がった形は太鼓饅頭とそっくり、これは皮の部分に 焼く時の油が滲みていて、皮の部分が旨い、木屋町三条の少し北の 東側の小さな店で、現在も有るかどうか定かでは無いが、たしか、 「望月」、という名前の饅頭だったような気がする、ただこれは他 府県の人へのお土産には気をつけたほうがいい、もらった人は、「 京都には和菓子屋さんが一杯あるのに、よりによって太鼓饅頭かァ ~」、という事になりかねない。 河原町今出川、加茂川と高野川の合流地点で、ここより下流は加茂 川が鴨川となる、ここはその昔、八瀬、大原、花背方面からの京都の 洛中の入り口で、大原口と呼ばれていて、八瀬、大原、花背から農産 物や山菜、そのほかの特産物を白川女、大原女や商人達が売りに来て、 洛中の品物を買って地元に持ち帰った、洛中の商人と洛外の商人が出 会う町、出町と呼ばれるようになり、元々このあたりの茶店であり、 小豆の餡が白い餅で包まれていて、これだけならただの大福餅なのだ が、餅の部分にしょっぱい赤エンドウが絶妙なバランスで入れられて いて、甘い大福に、しょっぱい赤エンドウ、口の中でえもいわれぬ、 甘さとしょっぱさとの見事なハーモニー、豆大福、今では全国のデパ ートの京のうまいもん展の、この一品だけで、レギュラーである、観 光のお客さんにも人気で、京都の人も、「また小さなった、値上げし やはった」、と言いながら、「チョッと出町まで行ってきたんでェ~ 」、とお土産にもらったり、2つほどお裾分け、この豆大福は出町の ふたば、この店はこの豆大福だけ作っていれば売り上げも利益も稼ぐ 事が出来る、しかしこの豆大福だけで全国区の有名な和菓子店になっ ている、だから色々な和菓子を作って販売、この豆大福も好きなのだ がここの最中、皮に挟まれている小豆の粒餡の量が半端ではない、甘 いものの嫌いな人が気分が悪くなるほど、大量の餡子がはさまれてい る、普通の最中は両側の皮が合わさっている、ここの最中は皮が合わ せることとても出来ないほどの大量の餡子がはさまれている、皮と皮 の間から除いている餡子の方が分厚いほどである、しかもその餡子は 水分が少なくなるほど煮詰められていて、いつまでも皮がぱりっとし ていて香ばしい、この店の最中も大好物である。 その昔、ゴルフをしていた頃の練習場は、桂川の八条大橋を渡って、 少し下流の土手の傍の練習場であって、その八条大橋を越したところ、 道の北側は桂離宮で、道の南側に古い茶店風の和菓子店、中村軒があ る、八条大橋がなかった頃、この辺りの桂川の渡し場があり、元々は 渡し場の茶店であったのだが、餅を二つ折りにして餡子をはさみ、黄 な粉をまぶした素朴な味の饅頭があり、麦代餅(むぎてもち)、と呼 ばれていて、パクパクと3つくらい食べてしまいそうなほど好きであ る、これは元来お茶の席などに使われる上品な菓子ではなく、お百姓 さんが農作業の間の休憩の時などの腹持ちのいいお菓子で、つまんで 食べる時に指がべとつかないように黄な粉をまぶしてある、この菓子 の名前、「麦代餅(むぎてもち)」、この店が農作業中の畑へ届けて いたらしく、このお菓子と麦を物々交換をしていた事を忍ばせる名前 になっている、京都の和菓子の中でこういう菓子が好きだというと、 先祖代々、過去帳一切、洛中産まれの、洛中育ちの、俺は生粋の京都 人と自認する友人は、彼曰く先祖は清和天皇から源氏の血を引く家系、 (明治時代には清和天皇を祖先とする、或いは桓武天皇より平氏を祖 先とする家系図がよく売られていたと聞く)、「お前は、67年のう ち大部分を洛外で育ったからなァ~」、と嫌味な言い方をする。 ■「今日の言葉」■ 「 素直に聴く心がないと人は 本当のことを言ってくれない 」 (自然社・平成22年・新生活標語より) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 17, 2010 09:09:45 PM
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