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育てているのは未来です

育てているのは未来です

小学校同級生 吉岡君

吉岡君とは、番町小学校の3年生から卒業まで同じクラスでした。思いかえしてみると結構迷惑をかけています。
 昔は、16歳で取得できる軽自動車限定の免許というのがあって、彼は自宅の建材屋の手伝いをするため16歳になるとすぐに教習所で免許をとっていました。私は17歳になっても免許がなかったので、教習所に行かず免許センターで取るために、夜な夜な、まだ高校生だった彼の運転する仕事用の軽バンで、石手川公園に残っていた古い運転免許試験場のコースに行って運転の練習をしていました。
 私は無免許ですから公園の行き帰りは吉岡君が運転していましたが、しばらくして大分運転も上手になった頃、「今日の帰りは僕が運転する」と彼の心配をよそにハンドルを握りました。するとすぐに天罰が下り、その帰りの土手道でハンドル操作を誤り土手下の民家の畑に滑り落ちてしまいました。二人とも怪我はしませんでしたがドアがへこみ、車の前部が畑に刺さったような形になって後輪が浮いたため動きがとれません。おまけに、畑の周りは板塀でかこんであります。「あ~どうしよう!」と気持ちが絶望的です。
 しかし、そのままではどうしようもないので、畑の横の民家の戸を叩き一部始終を説明して、必ず修理に来ますから塀を取りはずすのを許してくださいとお願いました。びっくりしながらもなんとか許可をもらえましたが、自力では動けない車はどうにもならず、松山工業高校の定時制に通っていた頃に顔見知りになっていた真砂町の酒屋のお兄さんのところに歩いて行って事情を説明し、配達用の普通車バンで引っ張り出してもらうことになりました。夜も9時を過ぎた頃ですから、みなさんどなたも、まことに迷惑な話です。
 お兄さんの車に乗せてもらって事故現場に到着。三人で板塀を引っこ抜き、軽四にロープをかけて引っ張り出してもらいました。幸い、ドア部分がかなりへこみましたが走行に支障はなかったのでそのまま帰宅し、翌日は彼も学校を休み、お詫びの菓子折りを持って一緒に引き抜いた板塀の修理に行きました。半日かかって元通り?になおし、民家の方に報告に行くと「正直に修理に来たのは偉い」とかえって褒めてもらって恐縮しました。
 当時は住所不定みたいな生活をしていたので、そのあとのことは全く知らなかったのですが、数年たってから吉岡君から「お前がしたとはいえんかったから親には自分でやったと話したら、それから半年間、小遣い無しになった」と言ってました。住所不定無職のような生活をしていた私は、彼の父親からかなり嫌われていたので気を使ってくれたのです。
 あれから50年以上経ちます。絵描きの修行で20年近くパリで過ごした彼も今は松山在住で、いまも友達として行き来しています。おおかた忘れかけていましたが、今日、ふとしたことで思い出しました。


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