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未だ市民の国民の意思を表現すること、一人一人が自分の自我を素直に出すことに慣れていない日本人、少し前ま
で治めるものと治められるものと言う絶対位置を守ってきた日本社会ですから、K 氏が「市民運動」出身を語ることの意味を汲取る市民は極めて少数派? 一方、権力の裏には世界を変えるマジックパワーの有りそうなことを上手に表現し、その場その場で切り抜ける知 恵さえあれば、少なくともOさんと、その一派は遣り過ごせると信じて疑わない。 そう、表に出ないお金の存在を知った、H 元官房長官は市民運動的に公表されるよりはブラックボックスが有る方が権力維持に、政権維持には好都合と考え、O側に付きました。 漢字の読み違いの多かった元総理はK 総理を「左翼」政権とラベルを貼っていますが、国民、市民の側から本当の政治が為されることが、考えられないのでしょう。守旧の上で苦労しない飯を食べることが一番良いのですから、 変化を、もうそう若くない政治家は保守で、未だ表にされないお金を彼らの権力維持に使う術の巧拙を競うに過ぎ ない詭弁を弄しているようにしか見えません。 悲劇はグローバル競争の中で、優れた英知を発揮できない、そんな閉じた日本社会でモガイテイル若者と病気や一 時の不幸で社会からこぼれた弱者達が先進国とは思えない自殺王国になっている。 官僚と政府は急速にもとの旧政権時の形に戻りそう。ミャンマーの軍事政権が20年を越えて 地方の隅々まで現政権の意思が軍の力を背景にして、ある意味で安定化している、アンサンスーチーの名がかたられるとき、あまりに も無為に過ぎた時間、かの国の国民の心と今の日本はどれだけの違いがあるのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 6, 2010 03:35:26 PM
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