|
カテゴリ:カテゴリ未分類
![]() 昨日は、浅草の近くでイベントがあるというので、出かけました。 そんなにこのイベントに興味がある人はいないだろう、 前回も行ったときは、余裕だったから、と行ったら、まさかのチケット売り切れ。 ものすごく、びっくりして、しかも、夜の予定まで3時間ほどあり、どうしようか、と歩き始めました。 そういえば、最近、全く行ってないし、 1人でも行ったことがないから、浅草寺に行ってみようと思い付き、そっち方面へ。 相変わらずの人の多さでしたが、今回、行けてよかった! というのも、神社仏閣って一人で行くよさも、またありますよね。 一通り、回って、 その中でも、そこだけ人の波がはずれた一角に静かなお寺があり、 靴をぬいではいれるようになっていたので、上がらせてもらって、 歩き回って、足が疲れていたのもあり、 ただ座って、ご本尊の顔を見ながら、ぼーっとしていました。 気づくと、30分以上そこで、そうしていたらしい... なんとなくのここ自分の反省や、やるべきこと、将来に向けての計画...なんてものが浮かび、 クリアになって、すっきりしました。 ある意味、瞑想に近い状態だったかもしれません。 本当に来てよかったと思ったのでした。 ちょっと、神社やお寺で、クリーニング?される必要があったから、呼ばれたのかも? 私の考え方の1つに、「すべては、宇宙に仕組まれている」というのがあります。 たとえば、今回は、 「ふと2年ぶりにそのイベントに行こうと思った。」のは、 「このお寺で、一人でこの静かな時間を過ごすため」だったと思うのです。 そして、そのためには、 「そのイベントが売り切れ」になっていなければならず、 「そのイベントが浅草近辺で」なければ、浅草寺に行こうとは思わず、 「そのイベントにいきなり行こう」と思いついていない場合は、 前日に、友人を誘っていたかもしれず、 そしたら、その場合、一人であのお寺に座ることもなかっただろうし、 ましてや、そもそも浅草寺に行こうとも思わなかったかもしれません。 いつも、何かこういう風に、一見、三次元的にタイミングが悪いとされることが起こると、 「あれ、私って、運がいいはずなのにおかしいな、 でも、これの本当の意図はなんだろう?」と考えることにしています。 そうすると、結局、 「ああ、これのために、こうなって、こうなって、こうなったんだ!」と絡まった糸がとけるように気づくんですよね。 そして、その糸の絡まりが大きければ大きいほど、 実は、その時では全体を把握することができなくて、 後になって、その巨大なからくりに気づき、 自分の人生のターニングポイントともいえることになっていたことがわかるってことでしょうか。 そして、その糸のほつれは、最初はものすごく小さな日常の中の1つに見えるかもしれないのですが、 実は、その糸は、ものすごく大きな絡まりにつらなっていて、 後で見ると、すごくびっくりすることがあります。 たとえば、ここ最近の大きな人生のできごとだと、 まず、興味本位で武術の教室にでかけ、そこでたまたまA先生に会い、習い始めました。 楽しくなってきたな、と思うと同時に、その先生が急にやめることになり、ショックだったのですが、 その先生が、もしあの時、やめないでいて、私もそのままそのクラスで続けていたら、 今のこの私の環境とは違う、別のものになっていたと思います。 ただの週1の面白い趣味で終わってたかも。 A先生が辞めたからこそ、次のB先生や、C先生、 他の団体の人たち、素晴らしい同輩や先輩方に会え、 そして、また、海外での素晴らしい先生たちに会え、 A拳だけではない、ほかのB拳やC拳にも出会えたんだよね。 はじめ、A先生が辞められると聞いたとき、(小さな糸のほつれ) まさか、こんな出会いや自分の状況が数年後に待っているなんて予想もできなかったな。 日常生活で、あれ?と思うことがあったら、 ぜひ「この糸のほつれはどこにつながっているのかな?」ということを考えてみてください。 けっこう、面白いことになってるし! 宇宙の仕組み、予想もつかないところから、つながってるヨ!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.19 14:55:50
|
|