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自分の中に、仲良くして欲しいけれど、なかなか交じり合わない
2つの感覚がある。 それは、「あいまい」と「明確」という逆の衝動。 中学3年の頃の日記をひょんなことからめくってみると、 荒れた海のように些細なことで激情的になりやすい、それをもてあまし気味の 自分の胸の内を言葉で整理しようとしたのかこんな風に書いている。 『ゼリーのようなふらふらな崩れやすくもろいこころを、 「言葉」というワイヤーで規定しなければ』 そうすれば、形が無かった自分を「明確化」できる、 コントロールできると信じていたみたいだ。 いつしか、それはある程度特技になって、 文章を書く仕事に進んだ。 でも、その日記から約20年後、 ブログにこのように書いている。 『職業も、書く仕事を選んだ。心を言葉のワイヤーで規定する技術は 発達したはずなのに、巻いても巻いてもどうしても包みきれない部分がある』 それで、こんなブログを作って、 ワイヤーに包んでもらえなかった自分をなんとかしようとしている そして結局、ワイヤーまきになってる。 「明確化」が、はっきりしなさいよ、ちゃんとしなさいよ、つまり貴女は どうしたいと思っているの?つまりなんなの? 要するにどうなの?やりたいならやりなさいよ と、志向性を持ったエネルギーを得ようとすると、 「あいまい」な部分が、どれも含めて、 いろいろな思いや感覚が混沌としている状況のまま たぷーんたぷーんと行きたがる。 理想に向けて、 それを現実に落とし込んで、 それを守って目標に向けて日々を過ごそう、 と考えるのは、高揚感があることだけれど、 そのうち、そういうやり方に息が詰まってくる。 かといって、「あいまい」に流れると 何か物足りない感覚がつのってくる。 明確にして方向性のあるエネルギーを得たい感じ、 あいまいなまま、感じや感覚をあるがままに認めて行きたい感じ。 もうちょっと仲良くなるといいな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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