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「しかし僕に自ら絶望するだけの能力があるだろうか。絶望は偉大なものである。絶望を人は責めるが、絶望できる人がはたして何人いるだろうか。孤独、絶望、死、これらは決して悲壮がった脅し文句ではないのだ。人間の魂のカリテ(質)なのだ。どうしても、そこへ行かなければ、先へ向ってひらけないものがあるのだ。しかも必ず先がひらけるとは決まっていないのだ。それでおしまいになってしまう場合が圧倒的に多いのだ。」
森有正『バビロンの流れのほとりにて(1953年10月)』より 絶望するほどになにかに向う自分を見つけてみたい。しかし、絶望とは私の想像をはるかに超えるもののようで、近づくことすらできない。幼い頭の中で考えるばかりで、体を張って立ち向かっているふりをしているだけの私など、希望にすら縁遠い存在だということに気がつく。 芹沢光治良『教祖様』読了。 感想を書く前に、作家のあとがきを引用しておきたい。 「一宗派に帰依することよりも、自由人として真理をもとめて、それがかりに滅びの道であっても、それを選びたかった」 「私は天理教の信者ではない。このことを、まずはっきりさせておかなければならない。それどころか日本に産まれたこの新しい宗教をずっと批判しつづけて来た.無関心ですごせばいいのだが、それができなかった。」 読みながら、道徳的・倫理的概念とか、宇宙を創造するもととなるもの(あるいは、なぜかふいに、オムニポテントレイネス)といった言葉が私の頭を去来するような。しかし信仰をもたない私に他に言うべき言葉はもちろん見つからない。あとがきにある「赤衣の老女」についての記述は非常に感慨深いものがあるが、これも言葉にならない。 (別の視点から、個人的な感想として)パリを愛した芹沢氏を日本へ呼び戻すものとして、ひとつにはこの本の執筆に対する使命感があったのだと思う。『人間の運命』の中でもそのことが伺える。他の作品をパリで書くことができても、『教祖様』を執筆するには日本に留まらざるを得なかったのではないだろうか。そして日本語で書かれた多くの作品を日本の人々に伝えなければならなかった。「それ(教祖伝)を書き終えて、その先へ進まなければならなかった」と作家自身も書いているように。 この作品の月報の中に、信者ではないが、昭和三十年から天理大学に奉職していた、河合隼雄氏の言葉がこんな風に綴られている。「この作品をつくりあげる上で示された芹沢光治良の宗教に対する考えや態度は、新しい世紀における宗教を考えようとする者に、深い示唆を与えるものと思われる。」 たしかに。私にはあまりに深い示唆だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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