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夕食は、カレーとサラダを作ることにしたので、長女にお米を研いでもらい、次女にはじゃがいもや人参を洗うのと、丸のままのレタスの葉っぱをちぎってもらうことにしました。これがとても楽しいらしく30分くらいかけて、もくもくと葉っぱをめくったり、ちぎったり。レタスは芯だけになりました♪
流し台は次女に占領されていたので、長女はお米の入ったボールを持って、私が野菜を切るのを見ていました。長女は野菜を一人では切ることができないとわかったので、私の切るのを見ていてもらうことになっていたのですが、そんなことはお構いなしに「切りたいっ」「切らせて!」とやかましく騒いでおりました(笑)。 そのうち、手のひらに載せた数粒のお米を眺めていた長女が「砂ってなに?」と聞きました。保育園の砂場で砂に思いを馳せる長女を想像してしまいますσ(^_^;) 。 レタスに夢中になっている妹を横目に、長女は母と一緒に辞書をひくことにしました。 母は砂が何であるかを言葉できちんと説明することができないのでありますが、ありがたいことにそんな言明を素直に受け入れてくれる長女です・・・。 辞書に記載された砂の定義を読み上げますが、5歳児にとっては初めての意味のわからない言葉がたくさん使われているのがわかります。それをできるだけ知っていそうな言葉に置き換えて説明しようとする母ですが、それには長女は満足しません。砂に関する学問としての知を獲得したがっているのだろうと思われます。子供らのこういう喜ばしい「芽」を私が砂にしてしまう可能性が限りなく広がっているように思えます。悲しい駄洒落であります・・。 ある事物を知る為のあらゆる事柄に関する知を獲得しようとすることは偉大である。そして、その知が自らの求めるものと、ぴったり当てはまるかどうかを確かめることができるだろうか。 「すべての人は本性的に知を求める」 アリストテレス お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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