雨は、黄金の恵み
毎日、琵琶湖を眺めて仕事をしているのだが飽きない。むかし金塊を積み上げて銃撃戦をするという映画があった。自分にはこの湖が金塊の山積のように思われる事がある。これは「水」などと言うようなものではなく、巨大な富の塊のようなものだ。それが体感できないのは、滋賀県民が狎れきってしまっているからに過ぎない。この21世紀は、まさしくこの水を踏まえて銃撃戦を行うという世紀となる。それはほぼ間違いない。この日記の読者も、自分が琵琶湖の話題ばかりするので激減しているようだ。滋賀県民も、それら読者も物事を「みている」ようでいて、実際の処では案外なにも「考えて」はいないのである。今年はカラ梅雨ということで、雨が本当に降らない。福岡、北九州、佐世保、鳥取、愛知、徳島、高知、、もういずこでも渇水で大騒ぎである。この国で渇水が騒ぎになるのだ。世界中の水騒ぎの深刻さは、想像を絶するにあまりある。中国経済は、「いつ」破綻するのか? ↑クリックでジャンプします。6年前、アリゾナ大学のAnthony Allan教授はVirtual waterという注目すべき概念を提唱した。東京大学・生産技術研究所などでも、これに呼応した追従をしている。水は、哀しいかな良い意味でも悪い意味でも人間を支配している。金銀は程なく枯渇するだろう。いくら高騰しようが存在しなくなる物質は、議論をしても詮無い。しかし水は我々が生存するためには必要欠くべからざるものだ。水は間違いなくわれわれを支配している。Virtual water 説によれば、精米1Kgを生産するにはほぼ8tもの水を必要とする。小麦粉の1Kgを作るには4t以上の水が投じられているとか。牛肉では、肉の1Kgに対して70~100tもの水が地球環境上では消費されると推定するらしい。吉野屋の牛丼を一杯つくるのに、なんと水換算で1890Lもの水がその肉と米に蕩尽されているのだというわけだ。自分は、毎日ミネラルウォーターを1L飲むように心がけているのだが、1890Lの水というと飲み干すのに軽く5年以上もかかるという計算になる。たかだか一杯の牛丼の存在が膨大な水を地球上で消費して世に存在している。我々日本人は、この地球上でもっとも贅沢に水を使用し続けてきたが無意識の内に日々生活するたびごとに相当量の水を使用している。トイレを使用する。あの排便後に使用する水が一回で10Lぐらいだという。地球上では、人が一日にどうしても生きてゆくためにほぼ30Lの水が必要だという。ところが我々日本人では、一日一人当たりなんと2000Lの水を消費してしまうのだという計算がある。日本では馬鹿な子どもは、トイレのたびに2度も、3度も水を流すがその無駄が地球上ではどれぐらい異様な無駄づかいであるのか、親もけして教えていない。そのため日本人は、世界でもっとも水資源を無駄遣いする習慣を身につけているらしい。日本社会は、年間生活用水を総消費規模でおよそ890億tもの規模で蕩尽している。ところが、Virtual water 説によれば、その1.15倍もの規模の水を別途輸入しているのだという。つまり食糧自給率の低いわが国では、牛肉、小麦、大豆、豚肉、とうもろこしなど飼料穀物にいたるまで外国産品に依存している。それらを生産するに際して消費された背景にある水消費を我々の社会が地球環境で最終消費しているのであるから、この水消費を加算して行くと我々日本人は、年間で1.925億tもの水を地球上で消費しているというのだ。これは狂気の沙汰である。借金大国の日本は、赤字国債を発行してまで世界中に多額の金員を配給している。そんな現実とは裏腹にわれわれ日本人は「生命の水」を今日も暴走特急のように大量に無駄遣いして躊躇が無い。さきに触れた食物連鎖とは、また違ったもう一つのピラミッドの頂上に我々日本人は位置しているらしい。