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2006年12月30日
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飢死にした妹と、現在の娘を文字とするとなって、はっきり偽りを記した。空襲で大火傷を負った養母、戦後、転倒してほぼ寝たきりとなった祖母を、養父同様戦災死とし、十六歳で生家へもどったぼくは、育ててくれた養母に、稼ぎ始めて以後、わずかな金銭的援助の他、逢わなかった。現在、キャバレーチェーン店に勤め、ツケの回収を行うらしい、養母は死んだことにした。必然的にぼくは、あわれな戦災孤児となった。   野坂昭如「プレーボーイの子守唄」

空襲当日、養父母を見捨てて逃げた、奇妙な解放感があった、幼い妹にやさしくなかった、満池谷のタニシやホタルは事実だが、妹のことよりも身を寄せた家の少女に夢中だった、けがをした養母は入院し祖母が看病したが、二人の確執を見るのが嫌で福井県春江町に逃げた......。野坂のこだわり、うしろめたさの根源に「戦災孤児」の虚構があり、その一番根っ子に養母の存在があるのだが、作者は、養母死没の「経歴の偽り」をこの『わが桎梏の碑』でも詳しくは語らない。 

 

 


野坂昭如の「火垂るの墓」が、教科書に載っているのは知らなかった。

野坂が戦災孤児という虚構で、知名度を上げてきたことも、直木賞作家となったことも、平行して彼がその餓死させた妹について、実は餓死へ追い込みもし、またその体力が下がった時期に虐待を繰り返したことも他ならぬ野坂昭如自身が粛々と告白しているのを、何度も読んだ記憶がある。彼自身は、あの宮崎駿のアニメで国民的な認知を得た節子に優しく野辺送りした少年ではさらさらなく、現実には幼くして死んだ節子の呪いに怯える小心な中年男であっても、いずれも野坂の作品の価値を毀損するものではない、と思う。


野坂に、娘が誕生したとき彼がどれほど手放しで喜んだことか。それは、彼の尨大な雑文の中から窺いしれる。彼が娘を育ててゆく過程で、彼が虐待して死なせたかもしれない妹節子の「記憶」が、どれほど彼を追い込んでゆく事になるのかは、想像できる気がする。

 

 

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ほかならぬ自分も、娘をみていると自分のありえた「過去」を重ね合わせてみる視野が生じる。

実妹には、結構酷い加虐的な兄だったりしたもので、これが娘を通じて過去のその非道さなどは良く理解できたりする。子供をもうけることは、男にとっては相当なレッスンだ。しかし、世の中には子供がいてさえも、レッスンとして機能しない事例も多い。そんな自身の僅かな体験をつうじて透かしてみる作家野坂昭如は、事実として大嘘つきではあっても、どこか人間的な意味合いで救いを感じさせてくれる。人の世を、悲惨に貶めて平然としている神もほとけさまの方も、それほどたいしたことをしでかしてくれていると思えぬからだ。

ましてや、神仏ならぬ人間さまがさほど「でかしたこと」ができる筈もないのだ。

 


野坂昭如と自伝小説--「戦災孤児の神話」再々説 
                                         清 水 節 治

 

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最終更新日  2006年12月30日 23時13分18秒
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